「本当に、本当に、できたのか?」
伏し目がちの表情がコクリとうなずいたのを見て、深いため息をもらした男。 「なんてこった……」
頭を抱えてはみたものの、残酷な結論はすでに決まっていました。
男として、父として責任をとるか、それとも出世の道をとるか。
結局、男はお腹に小さな命を宿した女性を捨て、出世の道を選びました。

物語は、この”ひとでなし”男からはじまります。

1 絵描きに「トビアスと天使」の注文が殺到した理由

●妊娠した女性を捨てた「ひとでなし」男
 男の名はセル・ピエロ・ダ・ヴィンチ。
 英語のサーに相当する”セル”は公証人や法律家に付されるならわしがあり、その名は「ヴィンチ村に住む公証人のピエロ」の意味です。
 村の女性とひとときの恋に落ちたピエロは、そのとき別の女性と婚約していました。
 婚約者はフィレンツェでも有力な公証人一家の若い娘でした。結婚が実現すれば、公証人としての出世はまちがいありません。野心家のピエロは出世の誘惑に勝つことができませんでした。

 村に春の息吹が感じられるころ、女性はひっそりと男の子を出産します。
 赤ん坊には「レオナルド」の名が付けられました。
 お祝いに駆けつけた村人たちへ自分の畑でつくった葡萄酒をふるまうのはレオナルドの祖父アントニオ。公証人を代々の生業とするダ・ヴィンチ一族には出世欲が強い男が目立ちましたが、この祖父はあえて公証人にならず、田舎暮らしを選んでいました。
 そんな彼にとって息子ピエロの「ひとでなし」ぶりは耐えられなかったようで、この祖父は不憫な初孫と母親をその後もずっと見守りつづけました。

 さて、非情な父ピエロですが、政略結婚の道を選んではみたものの、初めて生まれた息子のことはかなり気になっていた様子。心配な父はレオナルドをフィレンツェに呼び寄せます。
 レオナルド少年は住み慣れたヴィンチ村と母親に別れを告げ、都会フィレンツェへ向かいました。ここから彼の人生は大きく動きはじめます。
 それはいまから500年ちょっと前、15世紀後半のことでした。

●公証人になれず、ヴェロッキオに弟子入りしたレオナルド
 ピエロの職業だった公証人(notarius)は「セル」の称号が付されていたことからわかるように、とても身分の高い職業でした。公証人は相続など家族の取り決めや商売上の約束などを「記録」として残し、それにお墨付きを与える職業です。どんな約束でも口約束はトラブルのもと。あらゆる約束や契約は、文書に記録し、カタチにすることでトラブルを防ぐのが当時のならわしでした。
 しかし、人々が「記録」を残すことはそれほど簡単でなかったのです。
 --なぜなら「紙」が簡単に手に入らなかったからです。

 中世のころ、記録を残すことは難しいことでした。証文、契約書、帳簿……あらゆる記録を残すために必要な「紙」はかなり高価であり、庶民が簡単には手に入れられなかったのです。
 紙が高価なことに加え、人々の「能力不足」の事情もありました。当時は細かい計算どころか、四則演算すらできない人がほとんどでした。そこで人々は公証人を頼ったのです。公証人は彼らにアドバイスしつつ記録を残す役割--いまでいえば会計士と弁護士を足して2で割ったような存在だったのです。彼らの社会的地位は非常に高く、子どもたちがあこがれる職業だったようです。

 そんな公証人ピエロの仕事場は、紙を扱う商店が集まる街角にありました。おそらく紙を用意しやすいことからこの地を選んだのでしょう。
 のちに「メモ魔」として有名になるレオナルド・ダ・ヴィンチですが、メモをとるには大量の「紙」が必要です。この点、父ピエロが公証人だったことは幸いでした。レオナルド少年は父の仕事場にあった紙を自由に使うことができたからです。またメモ魔だったレオナルドにはダ・ヴィンチ家に代々伝わる「あらゆるものを記録に残す」公証人気質が受け継がれていたのかもしれません。
 フィレンツェでもやり手の公証人だったピエロ、そんな父にレオナルドも憧れたのか、若き日の彼の素描には、「公証人風」の曲線的な飾り文字が残されています。
 しかし残念ながらレオナルドは公証人になれませんでした。婚外子には公証人を継ぐ権利が認められていなかったからです。どうやら父ピエロはそのことについて複雑な思いを抱いていたようです。

 ある日、ピエロは息子が書いたスケッチ数枚を手に取って、彫刻家のヴェロッキオを訪ねます。
 ヴェロッキオは当時フィレンツェで「飛ぶ鳥を落とす」勢いの彫刻家。仕事を通じてヴェロッキオと知り合いだったピエロは、息子が書いたスケッチを彼に見せました。
 ヴェロッキオは一目で才能を見抜いたようです。
「君の息子を預かろう」
 話はすぐにまとまりました。おそらくは父が思ったとおりに。

●道中の安全を祈りに込めた「トビアスと天使」が人気
 レオナルドにとって修業先がヴェロッキオ工房だったことは幸いでした。たくさんの仕事が舞い込む工房では、ヴェロッキオ師匠だけでなく、先輩たちからも大いに刺激を受けることができます。
 またヴェロッキオは「弟子を育てるのがうまい」師匠でもありました。自分の絵を描くとき、その一部分を弟子に手伝わせて学ばせていたようです。
 ある日、レオナルドは師匠が描く「トビアスと天使」を手伝うことになりました。

「トビアスと天使」は旧約聖書外典「トビト書」のストーリーをもとにした、「商売人の孝行息子、無事帰る」のストーリーを描いたものです。
 絵には美少年トビアスと大天使ラファエルが並んでいます。盲目の父に代わって金を回収する道のりを歩むトビアス、それを横で見守る大天使ラファエル。
 ちなみにこの絵でトビアスが手にしている「魚」は、レオナルドが書いたといわれています。
 そのストーリーは、無事帰った息子がラファエルの導きで魚の肝を煎じて父の目に塗ったところ、父の目が見えるようになったというハッピーエンド。
 この幸せな物語をもとにした「トビアスと天使」は当時、大流行しました。
 その大人気の裏には、当時のビジネス環境を読み解く重要なヒントが隠されています。

 旅から旅を歩く商人にとって「道中の安全」は、どれだけ祈っても足りない心配事でした。途中に荒くれ者や盗賊が出没する物騒な道のり。ときには身内の裏切りによって金や荷物が持ち逃げされてしまうこともありました。金品を盗まれるだけでなく、命まで落としかねない危険な道のり。
 だからこそ商売人たちは「トビアスと天使」に無事への祈りを込めたのです。
 トビアスと天使にはバリエーションがあり、ときに天使が3人もいる絵があったりします。
 それを決して笑うことはできません。道中の安全は彼らの切なる願いだったのです。

●あえて危険に挑むリズカーレ
 レオナルド・ダ・ヴィンチが修行したころ、イタリア商人の得意技といえば東方貿易でした。
 香辛料・ワイン・茶・陶器・織物といった「あこがれの品々」は、中国やインドから陸路と海路を通じてイタリアへ運ばれ、そこからさらにヨーロッパ各地へと運ばれました。イタリアは東方への玄関口という絶好の立地にあったわけです。

 東方の品々をせっせとヨーロッパへ運ぶイタリア商人たち。貿易品のなかで、もっとも人気があり、儲けの大きかった品が香辛料でした。
 当時、胡椒やシナモン、ナツメグなどはたいへんな人気がありました。高価で売れるうえに、かさばらない香辛料は商人たちにとってありがたい商品です。「冷蔵庫がなかった」当時、肉など傷みが早い食品を保存させ、あるいはニオイを消して香り付けするため、香辛料はなくてはならない存在でした。
 さらに香辛料には「薬」の役割も期待されており、ペストなど伝染病に対する治療薬・予防薬、強壮剤、健康薬として人気があったようです。食卓に欠かせない存在にして、高級サプリメントでもあった香辛料の取引を長い間にわたって独占したことがイタリア商人の強みだったのです。

 東方からさまざまな食材が入ってきたことで、イタリア料理はヨーロッパでいちはやく「多彩」になっていきます。パスタの起源とされる乾燥パスタは東方よりシルクロードを通じて伝わり、このほかにも米、砂糖、ナス、スイカ、杏などが東方から入ってきて定着しました。

 さて、このような品を運ぶ東方貿易はいくつもの陸路と海路を通して行われましたが、なかでも船に乗り込む男たちの道のりは危険でした。海や川には海賊が多数出没し、悪天候で船が沈むこともあります。
 その危険を承知でこぎ出す男たち--勇敢な船乗りリズカーレ(risicare)がやがて「勇気ある者」の意味で用いられ、さらに転じて「リスク」というお馴染みの言葉になったそうです。

「危険を冒さないものは、
大きな儲けを手にすることができない」

 リズカーレをはじめ当時の商人たちにとってリスクは「避けるもの」ではなく、「挑むもの」だったのです。当時の商人たちは勇気をもってリスクに挑みました。

 ここでその商人たちを助けるべく、新たなソリューションを開発した者たちがいます。それがイタリアのバンコ(Banco=銀行)です。バンコは商人たちへ向け、「キャッシュレス」サービスを提供しはじめました。このサービスを利用すればキャッシュを持ち歩く必要がなくなります。
 商人たちを道中の危険から救ったイタリアのバンコ、それはまるで「トビアスと天使」に描かれた大天使ラファエルのような存在だったのです。