ここでは渋沢栄一を取り上げた本4冊を紹介します。

『渋沢栄一 100の金言』(日経ビジネス人文庫)渋澤 健著 2016年1月刊

 成功や失敗は人生の泡に過ぎない。物事は順序を踏み、焦ってはならない。何もせずに暮らすのは罪悪である。誰にも得意技や能力がある。「みんなのため」を口実にするな――。いかに生き、何のために働くのか? 混迷の時代こそ渋沢栄一に学ぼう。2013年2月に刊行された『渋沢栄一 明日を生きる100の言葉』(日本経済新聞出版社)の文庫化。『渋沢栄一 100の訓言』の続編です。

(本書まえがき より)

 はじめに なぜ、ふたたび、渋沢栄一なのか

 渋沢栄一はロックだ

 近年、渋沢栄一への関心がますます高まっています。およそ五〇〇の会社の設立に関与し、「日本の資本主義の父」と言われる明治・大正時代の実業家に、今の時代の日本人だけではなく、海外の人々まで関心を寄せるのは、栄一の生き方や考え方に、懐かしい響きを感じるからではないでしょうか。

 また、私が設けている「『論語と算盤』経営塾」には渋沢栄一に興味を持つ方々が集まってきてくれます。栄一の思想を解読する講義を受講する形式ではなく、塾生同士のディスカッションを通じて「渋沢栄一」を自分自身のストーリーとして落とし込むことがこの塾の狙いです。

 塾生は二〇代から七〇代と年齢層の幅が広く、一般社員から経営者の男女までというダイバーシティーにも富んでいますが、皆さんの共通点は意識が高いことです。色々な気づきが自然的に生まれてくる「対話の場」で、日常の垣根を越える知的交流が盛んです。

 ある日、塾生が発表の際に熱く発した気づきが印象に残りました。
「渋沢栄一はロックだ。」

 今まで、渋沢栄一をロック・ミュージシャンと評したのは聞いたことがなく、意味不明な叫びに会場が静まりました。しかし、彼の説明を聞いてみたら、なるほど、確かにそうかもしれないと、腑に落ちてきました。

 クラシックやジャズと比べると、ロックとは「自分の生き方」を最も主張する音楽のジャンルです。今までのあり方や既存の常識に対抗旗を揚げて、自分が正しいと信じるあり方を提唱するのがロック。

 渋沢栄一は、江戸時代の終末期の封建制度のあり方や常識に対抗し、明治時代・大正時代という新しいあり方や常識をつくり、そして、生きました。そういう意味で、高度成長時代が終わり「新しい成長」の時代のあり方や常識を探っている現在に、渋沢栄一が大勢の人々に響くのかもしれません。

 また、ロックの特徴は激しいビートサウンドですが、渋沢栄一の言葉を読むと、決して護送船団的な「やさしい資本主義」ではないということがわかります。かなり激しいビートを感じるところが少なくないのです。栄一の丸型の顔と異なり、思想はかなり尖がってエッジがあるのです。

 そして、ロックの曲は基本的に三つのコードでつくれますが、渋沢栄一も基本的に三つの本質で表現できます。固定観念の垣根にとらわれることない「知恵」、自分のことだけではなく他人にも手を差し伸べる「情愛」、そして、国家社会の発展のために身を尽くすという揺るがない「意志」です。

 渋沢栄一のロックのビートを、ぜひ、遺してくれた言葉を通じて体感してください。

 渋沢栄一が遺した財産

 時々、私が渋沢栄一の玄孫(孫の孫)であると知って寄り添ってくる人たちがいます。「日本の資本主義の父」の子孫であるから、たくさん財産を持っているに違いないと思っているようです。

 しかし、渋沢栄一の関心ごとは、国家繁栄に尽くすことであり、自分の一族や子孫に財産を遺すことにそれほど関心が高くなかったようです。したがって、自分はサラリーマン家族に生を受けました。会社を受け継いだこともなく、莫大な金銭的財産や不動産を相続したわけでもありません。

 しかし、このような財産は、下手に管理すると減ってしまいます。全くなくなってしまう場合もあるでしょう。一方、上手に管理して増やしても、税金を取られてしまいます。

 ただ、自分が独立して初めて会社を設立した二〇〇一年頃に、実は渋沢栄一は自分にかけがえのない貴重な財産を遺してくれたことに気づきました。この財産は減ることはありません。税金もかかりません。なぜなら、この財産は「言葉」であるからです。

 小学二年生から大学を卒業するまで米国で育ち、社会人になってから基本的に外資系企業に勤めた自分は、実は、それほど渋沢栄一の存在を強く意識していたわけではありません。しかし、栄一が遺してくれた言葉を通じて、自分が生を受ける三〇年前にこの世を去った高祖父と心の中で色々と「対話」するようになりました。

 渋沢栄一が「論語」など中国古典の思想を自分の経済活動に沿うストーリーとして落とし込んだように、自分は「論語と算盤」など渋沢栄一の思想を自分なりに解釈して、自分のストーリーに落とし込むようになったのです。

 渋沢栄一のエッジが効いた言葉と出合うことがなければ、自分の栄一の姿は、他人が研究して描いたクラシックな人物に留まっていたかもしれません。

新しい時代は、今回が初めてではない

「歴史が繰り返すことはない。しかし、韻を踏む」。米国作家のマーク・トウェインの名言と言われますが、過去にあったことが、そのまま、ふたたび起こることはないかもしれないが、リズミカルな響きがあるということです。

 渋沢栄一など過去に功績を築いた人物の言葉を参考にすることは、その過去の時代にノスタルジアを感じて戻りたいということではありません。あくまでも、そのリズムを感じ取り、これからの私たちの新しい時代を拓くために大事なのです。

 現在、日本は新しい時代を拓くことが不可欠です。ただ、日本が新しい時代を拓くことは、今回が初めてではありません。だから、渋沢栄一の言葉は、過去のものだけではなく、これから新しい時代を拓く日本人には参考になるはずです。

 このような思いで、二〇〇七年に刊行した『巨人・渋沢栄一の「富を築く一〇〇の教え」』という単行本が、二〇一〇年に『渋沢栄一 一〇〇の訓言』という文庫本として刊行され、現在でも重版されているロングセラーとなっています。

 もっと、栄一の言葉を世間に伝えたいという思いが叶い、二〇一三年に単行本の『渋沢栄一 明日を生きる100の言葉』が刊行され、手頃に読者の皆さまが手に持っていただくために、この度、文庫本の本書が誕生することになりました。ここで言う「金」とは、決して物質的豊かさを示しているのではないので、お間違いなく。「金」は耐久性がありながらも、性質的にはやわらく、作り手が表現したい形へ加工できます。そして、磨けば、永遠に輝くことができます。これからの新しい時代への期待を込めた象徴です。

 前回の「一〇〇の訓言」と同じように、今回の「一〇〇の金言」も栄一から一〇〇の言葉を借りて、ひとつずつ見開き二ページで紹介しています。一ページ目にはキーワードを記し、そのキーワードの背景となる渋沢栄一の言葉を引用し、さらに現代語に直したものを付けています。また、翻訳ではありませんが、そのエッセンスを英語でも記しています。

 そして、二ページ目には、渋沢栄一の言葉を二一世紀の文脈のショートエッセイで解釈しました。栄一の実際の言葉を噛み砕いた内容と私の考えとが融合されています。まさに、渋沢栄一を自分のストーリーとして落とし込んだ試みです。

 最初の「一〇〇」の書き下ろしは、リーマン・ショックの前でした。そういう意味では、前回と比べて今回の「一〇〇」を書いた日本社会の環境と自分の立場が異なっており、それが行間からうかがえるかもしれません。

 これからの人生を切り拓き、苦境を乗り越えるために栄一は、どのようなヒントを遺してくれたのか。また、親として子供たちに伝えたい幸せな、正しい生き方のメッセージを栄一の言葉と共に整理しました。次世代には、信頼される人となり、本当に豊かになる生き方を示したいです。

 読者の皆さまも、本書のページをめくり、ぜひとも渋沢栄一の言葉を自身のストーリーメイクの題材として活用してください。ひとつの正しい答えを求める画一的な時代は終わりました。多様な価値観が混在する時代では、複数の正しい答えがあって当たり前です。年齢、経験を問わず、これからの輝く時代を拓くために必要とされることは、先人の英知を用い、正しく問いかける姿勢ではないでしょうか。




『渋沢栄一 愛と勇気と資本主義』(日経ビジネス人文庫)渋澤 健著 2014年11月刊

 愛と勇気がなければビジネスは回らない。もし、いま渋沢栄一がいたならば――。渋沢家五代目が自身の経験と渋沢家家訓を重ね合わせ、あるべき資本主義像を語る。『渋沢栄一とヘッジファンドにリスクマネジメントを学ぶ』(日経BP)を改題し、加筆文庫化。

 ヘッジファンドを退社した後、2008年の「コモンズ投信」設立に至るビジネス経験を踏まえ、独自の資本主義論を加筆しました。

(本書まえがき より)

 この本は、渋沢栄一の功績を称賛する過去の物語ではない。むしろ、「今日よりも、良い明日」という未来のために、明治時代の実業家の渋沢栄一の「愛と勇気」から生まれた日本の「資本主義」を、21世紀の文脈において描くストーリーだ。

 栄一が残した言葉を読み返してみると、そこには常に未来志向があった。

 日本の激動の時代に民間経済力の集積による新しい成長と常識を促した栄一の思想を、過去の記録として留めるのはもったいない。未来のために、再現すべきだと思っている。栄一の言葉や思想を、21世紀の幕開けに暮らす私たちの基本ソフトとして書き換えて、未来に向けて資本主義と共働する時代になってほしいと痛切に願っている。

 今回の拙著の出発点は『渋沢栄一とヘッジファンドにリスクマネジメントを学ぶ』(日経BP社)という2001年に出版した私の処女作である。売上部数の側面では出版社に貢献できなかったと恐縮しているが、明治の実業家の渋沢栄一と「投機集団」と言われるヘッジファンドを並列したハチャメチャさに「面白い」という評価も、少なからずいただいていた。

 文庫本として再出版しないかと持ちかけていただいたものの、13年という年月がすぎていた。2008年のリーマン・ショックという大惨事もあり、自分の立ち位置や考え方も変わっている。今から考えると原著は、当時の自分の職業と先祖の狭間に立たされていたアイデンティティ探しだった。

 しかしながら、原著のキーワードであり、自分が考えた渋沢栄一とヘッジファンドの共通点である「リスクマネジメント」という考えは時代を超える普遍性がある。危機管理という意味に留まるリスクマネジメントではない。

 リスクは「危険性」ではなく、「不確実性」だ。環境の大変化という不確実性に対応して「進化」するためにはリスクマネジメントが不可欠である。リスクマネジメントは未来のためにあるのだ。

 ヘッジファンドに勤めたことによって、私は多くのことを学んだ。現在、仲間たちと取り組んでいる金融ベンチャーは、長期投資を日本人のライフスタイルの一環として普及させることに努めているが、実は、ヘッジファンドの経験があったからこそ生まれたものだ。

 また、原著の執筆にチャレンジしたことは、自分自身のその後の渋沢栄一研究の入り口となった。渋沢栄一の言葉を自分なりに消化することによって得た様々な気づきやご縁。それが導いてくれたのが、栄一の思想を再表現する試み│長期投資による日本の持続的成長という仕事であった。

 日本の元祖金融ベンチャーの設立理念や思想は、これからの経済社会の持続的成長の門を開くカギになると思っている。そういう意味では、13年間かけて熟成させた原著の想いを本書へと再表現することに、意義があるのではなかろうか。

 渋沢栄一が140年ぐらい前に生んだ日本の近代的資本主義と比べて、現在の資本主義は異なるものに変わってしまったのか。それとも、普遍的な共通点を見出すことができるのか。そして、我々は資本主義を通じて、どのような未来を拓くことができるのか。

 世の中に成長を促すために資本主義は存在する。その成長とは物質的な次元に限ることなく、精神的な豊かさという側面も重要だ。そして、その成長が短命ではなく、持続可能なものになるための資本主義のカタチがあるはずだ。

 2020年以降の新しい時代に向かいつつある日本。現在のタイミングで、原著が渋沢栄一の愛と勇気と資本主義へと生まれ変わることが、僭越ながら、日本社会の「今日よりも、良い明日」へとつながることを期待している。




『渋沢栄一 人生とお金の教室』(日経ビジネス人文庫)香取俊介/田中 渉著 2016年1月刊

 16歳の少年が目覚めたのは江戸時代。そこに現れたのは、あの渋沢栄一だった……。 本書は、重い心臓病で入院する母と事業に失敗し失踪した父を持つ高校生シブが、渋沢栄一の生きた時代に八咫烏に姿を変えてタイムスリップ。幕末から明治初期を渋沢のもとで過ごした後、現代に戻り、その教えを胸に、若い仲間達と日本を代表する企業家に成長していく物語。実際のエピソードと2人の対話を軸に展開される奇想天外なストーリーのなかに、『論語と算盤』など渋沢流の人生哲学・経営理念のエッセンスを凝縮。読み進めるほどに、渋沢栄一の生き様と魅力のすべてがわかる一冊。

(本書「第一章 奈落の底へ底へ」より 抜粋)

 僕が自転車のほうに戻ろうとすると、飯岡が前にまわりこんで、
「逃げるなよ! うちでつくったネックレスとかネクタイピン、全部で一〇〇〇個も納入したんだぞ。なのに一円も代金もらってねえんだよオ!」
「一個原価三〇〇〇円として、三〇〇万だ」と荒船。「前からの未払いも入れて五〇〇万。そんだけ踏み倒されたら町工場なんかひとたまりもねえよ。いいか、シブ、お前の親父は踏み倒して逃げたんだよ」 「わかった。あとにしてくれ」

 とたんに、飯岡の足蹴りが腰にきた。僕は前のめりになり、かろうじて体を支えた。

「あんたら、許さないよ!」

 沙也香が叫んだ。雨粒が大きくなった。また雷鳴がゴロゴロ鳴った。と、まるでそれが合図のように数十羽のカラスの群れが急降下してきた。小さな恐竜のように咆哮(ほうこう) し、バサバサ羽根を鳴らす。

「いやだ、なにこれ」

 沙也香が僕にしがみついた。

「離れろ! 沙也香」

 僕は沙也香を突き飛ばすように行かせた。残った男たちを狙って真っ黒いカラスの群れが襲いかかった。「や、やめろ」「クソ」はねのけようとするが、カラスは攻撃をやめない。鋭い嘴(くちばし) が頭髪に食い込む。髪を引き抜く。つつく。糞の乱射。噴射。鋭い爪が手や頰をひっかく。荒船たちは悲鳴をあげて逃げ惑った。

 四、五羽のカラスがとくに攻撃的で、いくら追い払ってもクワックワッと鳴きながら鋭い嘴で突っかかってくる。僕も荒船たちも区別しない連鎖攻撃である。なんだか悪い夢を見ているようだ。天変地異の前触れなのか。僕の目に糞が入った。しみて痛い。大粒の雨。雷鳴。そして白熱光のような稲光が鋭角に走る。

 ひときわ大きな雷鳴がし、地面が揺れた。夢かと思ったが、そうではない。

「沙也香」

 叫んで見回した。大粒の雨がたたきつけ視界が曇ってよく見えない。稲妻が鋭角に走った。まばゆい閃光。目が見えなくなった。音が聞こえなくなった。意識が遠のいていく。おい待てよ。待ってくれエ!

 懸命に抵抗を試みたが、闇からの吸引力は強く、そちらにスーッと体ごともっていかれ、やがて、なにもわからなくなった―。

(「第二章 気がつけば幕末の日本――誰の前にも道は開けている」より抜粋 )

 意識が戻ったとき、なだらかな傾斜地にいた。小さな流れというより淵(ふち) というか沼というか、水たまりがすぐ目の下にある。タンポポの種子が頰を優しくくすぐり、緑がにおうようで心地よい。

 夜が明けたばかりだった。薄明かりのなか、水面を見ていて、おやっと思った。なにやら小鳥が水の中にいる。椋鳥(むくどり) のようでもあり、雀のようでも十姉妹(じゅうしまつ)のようでもある。

 近づいても逃げるどころか、こっちに近づいてくる。巨大な蛙が飛び込み水面が乱れた。と、小鳥の像が乱れ輪郭を失った。なんだかヘンである。水の中にいた小鳥は水面に映ったこちらの像ではないのか。

 僕はあらためて自分の手を見た。

 ない。

 足を見た。

 鳥の足だ。

 しかも三本足! 全身は羽根でおおわれている。驚きが悲鳴に変わった。いったい、なにが起こったのか。

 水面をじっと見た。大河原渋とは似ても似つかない鳥の姿しか見えない。しかも三本足である。

 これはいったいどういうことなのか。背筋を冷たいものが流れ、ついで体が小刻みに震えた。率直にいって怖い。いったい何が起きているんだ。悪夢の中ではないか、とまず思った。が、どうも夢とはちがう。確かな感触を伴って自分自身を感じることができる。

 でも、人ではなく、小鳥だ。

 こんなことがあっていいのか。

 いいはずねエよ!

 しかし、現実に目に入る自分の体は、まさに鳥である。それも三本足のヘンテコリンな鳥。

 飛鳥山公園で真っ黒いカラスの群れに連鎖攻撃を受け、意識を失った。そこまでは覚えている。それが、なぜ、こんなところに……? しかも、異形の姿に変わりはてて。

 ありえねえよ!

 隣にサッカーボールくらいの巨大なタンポポがはえていた。蟻がいる。猫みたいに大きな蟻だ。雑草も大きい。なにもかも巨大で、一瞬僕は『ガリバー旅行記』を思い浮かべた。巨人の国にさ迷いこんだのか。

 ちがう。タンポポや蟻が巨大なのではなく、僕が小さくなってしまったのだ。一〇分の一くらいになって、しかもなにかわからない鳥のような生き物に変身……と思うと体が恐怖で震えた。悪夢か。だったら覚める。覚めろと念じた。が、覚めない。では、これが現実なのか。

 あらためて激しい恐怖に襲われ、全身が震え、次第に気が遠くなった……。

 意識が戻った。元の人間の姿になっているはず、と思いたかったが、小鳥のままだ。タンポポも巨大だし、蟻も相変わらず猫のように大きい。沼の隣を川が流れていて、両岸が堤防になっている。川の向こうを男が二人通っていく。二人ともチョンマゲを結い腰に大小の刀をさしている。時代劇のロケ? しかし、カメラもない。スタッフもいない。こちら側の堤防を農民らしい男が二人歩いてくる。鍬(くわ) を持ち短い木綿の着物を着て、腰にはキセルをぶらさげている。

 遠くに目を凝らした。茅葺き屋根が数軒建っている。向こう岸を手甲脚絆(てっはんきゃこう)の飛脚が走って行く。旅芸人らしい一団も歩いて行く。

「江戸時代か……」

 脳髄が蜘蛛の巣のようになってしまったのではないか。その可能性が強い。どういうことだよ。なんで、なんで、この僕が……。

 夢だ、これは、と思い込もうとした。が、どうも現実だ。天と地がひっくり返った気分だ。ワッと叫んでしまいたいが、声を出すとピョピョピョといった声になる。

 三本足で立ったまま僕は心細さで泣きたくなった。背後でうなり声がした。振り返るとライオンみたいに大きく見える野良犬が攻撃の姿勢になっている。目が合ったとたん、牙をむき出し飛びかかってきた。反射的に逃げた。人間なら両足に意志が伝わり走る姿勢になるのだが、逃げる気持ちが羽ばたく動きとなって空に舞い上がった。

 今、僕は空を飛んでいる。まるで地上を歩くような気軽さで、当たり前に飛んでいる。信じられない気分だが、信じなくてはいけない。

 川のすぐ向こうは大きな屋敷だった。高く太い樹木がしげり、茅葺きの屋根が見える。農家、それも庄屋クラスの豪農である。裏庭に太い欅(けやき) があり、その枝に止まり、あらためて周囲を見回した。

 真っ平らの大地が果てしなく続き、起伏がない。田畑の間に茅葺きの農家が点在する。武家屋敷らしいものも商家や長屋なども見当たらない。木の下で突然、鶏のさわぐ声がした。

 見ると、竹でつくった鶏小屋があり、そこになにか獣が入り込もうとしている。ケケケと鳴く鶏の恐怖の声が「タスケテ、タスケテ」と聞こえた。僕は羽ばたきをして急降下した。

 竹でつくった小屋に七、八羽の鶏がいて騒いでいる。小屋の地面を前足で掘っている黒いものがいた。すでに頭の部分は小屋の中に入っている。イタチ、と思ったとき

 僕は、

「コラ、ナニシテンダ」

 叫びつつイタチの尻に三本の足の爪をかけた。クエーッと奇声を発してイタチが頭を小屋から出しこちらに飛びかかった。脚の付け根を鋭い爪でひっかかれた。羽根が散り、痛みが走った。

 素早く羽ばたきして飛び上がってから、急降下して三本の脚でイタチの顔面を蹴り上げた。イタチは仰向けに倒れたが、ただちに起き直って牙をむく。羽ばたきをしようとしたところ、羽根に力がない。強い痛みが走り、ゆっくりと地面に墜ちた。

 イタチは好機とばかり大きく口をあけて食い殺そうとする姿勢だ。イタチが飛びかかろうとしたまさにそのとき、石が飛んできてイタチの首に当たった。見ると、農家の母屋から青年が走ってくる。彼が投げたようだ。

 イタチは新たな敵に身構える姿勢になった。すぐ身をひるがえして逃げようとする。僕は最後の力を振り絞るようにして羽ばたき、逃げるイタチの首根っこを三本の脚でつかみ引きずり倒した。小さいが強い力がこもっている。これも驚きだ。イタチが立ち直ろうとしたとき、青年が走り込み、手にした木刀でイタチの首を一撃した。

 イタチは仰向けにひっくり返り、口から泡をふいた。

 力尽きて羽根をふるわす僕を見て、青年の目が異様に輝いた。「や、これは、これは……八咫烏(ヤタガラス)ではないのか」

「イエ、チガイマス、ヒトデス」

 僕はそういったつもりだが、ピョピョピョッという類の声になってしまう。不思議なことに、相手の日本語はよくわかるのだ。家のほうから中年の絣(かすり) の着物を着た女性が小走りにきて、

「どうかしたのですか」

「母上、この鳥が鶏をイタチから救ってくれたんです」

 すでに僕は青年の手の中にあった。

「ま、そうだったの。小さくて可愛いのね。なんていう鳥かしら」

「母上、八咫烏ですよ。ほら脚が三本あるでしょう。瑞祥(ずいしょう) の兆しです」

「そんな鳥が、どうして我が渋沢家に……」

「天の使いですよ。大事にしなくては」

 そっか、僕は天の使いなのか。当惑のなか、まだ自分が自分でないような気分だ。

 青年は小柄で、品の良さそうな着物を着ていた。優しい目をしていたが、どこか強い芯のようなものを感じた。青年は僕を慈(いつく) しむように眺めた。彼の手の温 もりが、ほんのりと伝ってくる。

 僕はあらためて屋敷内を見回した。デジャビュ。どこかに既視感がある。広々とした庭。広壮な三階建ての母屋と、脇にならぶ納屋というより工場といった細長い建物。藍の葉らしい葉がザルに入っている。そうだよ、妹の美由起と血洗島に行ったとき見た家ではないか。

「ここは、渋沢栄一の生まれた家なのか」

 村人の話す声がした。「ナカンチ」という言い方をしている。たしか渋沢栄一の生家は、そう呼ばれていた。「血洗島じゃあ、めずらしいのう」と農夫がいっている。

 まちがいない。ここは渋沢栄一の生家だ!

 僕は飛び上がらんばかりに驚いた。青年が僕を掌に乗せて傷の具合を見ている。

「よしよし今、治してやるからな」

 タケノコの皮の中には青黒い練り薬のようなものが入っていた。

「それ、なんですか」

 僕がきくと、

「藍の葉でつくった薬だ。血止めによく効く」

 青年がいった。ハッとした。ボクとこの青年とは普通に会話ができるではないか。青年以外の人にはピーピー鳴く小鳥の声としか聞こえないのに、青年には普通の日本語として届く。なぜだ。なぜそんなことが可能なのか。いくら考えても答えはない。

 やっぱり、ボクは天から降りてきた神の使いなのか。なぜ、そうなんだよ。先日―妹の美由起と深谷を訪れたとき説明員が話していたところでは、渋沢家は苗字帯刀を許され、名主見習であった。一方、僕の父の生まれた家は、祖父が東京に出ていったため、とっくになくなっていた。

 その後、栄一の生家は火事で燃えてしまったが、まもなく再建された。美由起といっしょに見た、あの大きな家だ。父の因果かなんだかわからないが、そこに僕は舞い降りたのだ。嬉しいような哀しいような切ないような不思議な気分である。

 喉がかわいた。と思ったら、青年が桶に水をいれて運んできてくれた。僕はきいた。

「失礼ですが、あなたはダレですか」

「ワシか……渋沢だよ」

「もしかして、渋沢栄一、さんですか……?」

 おずおずと僕がきくと、青年は、

「いかにも。しかしさすがは八咫烏、天の使いだ。人の言葉を話すとはな」

 といった。そうか、この青年が渋沢栄一なのか。

 僕の体の毛が一斉に逆立つようだ。今、僕は歴史上の人物と話している!

 父が、郷土の英雄であり、日本の資本主義の父であると話していた、あの人だ。見るところ、栄一は二〇歳をちょっと過ぎたくらいだ。

 この人が―と僕はまじまじと見つめた。「近代日本を創った人」「資本主義の父」「銀行をつくった」。つぶやいてみた。しかし、言葉が目の前の、素朴で無骨そうな青年と結びつかない。

 傷の手当てをしてくれたあと、栄一は僕を胸に抱くようにして細長い建物のほうに行った。藍(あい) の葉を加工する作業場のようだった。つづきに納戸があり、そこに入った。栄一が黒茶色の塊(かたまり) を手にとった。

「それはなんですか」「スクモという。藍の葉を発酵させてつくるんだ。これを臼でつき固めたものを藍玉(あいだま) という」

「藍というと染め物に使うものですね」

「そうだ。我が渋沢家は農業のかたわら、藍玉の販売を家業にしている」

 そこまでいって、栄一はふと思い出したように、

「そうだ、お前の名前をつけなきゃいけないな。なにがいいかな」

「シブちゃんでいいです」

「そうか。シブちゃん、か……悪くない。そうしよう」




『渋沢栄一 「論語と算盤」と現代の経営』守屋淳編著/渋沢栄一記念財団監修 2013年7月刊

「実業の父」渋沢栄一に惹かれ、その著書『論語と算盤』を自らの経営判断の拠りどころとする経営者が増えている。13人の経営者や実業家に、渋沢が説く「道徳経済合一主義」とは何か、を聞いたインタビュー集。 渋沢栄一の経営哲学は現代においても色褪せず普遍的な知恵に満ちている。経営者だけでなく、管理職から新入社員まで幅広い実業人に読んでほしい一冊。

(本書まえがき より)

 日本は、欧米圏以外で唯一、一九世紀に自力で近代化を達成した国として知られています。アジアやアフリカ、中南米にもあまた国はありましたが、他ではいくらそれを望んでもできなかったのです。

 その差をわけた要因とは何か。日本が幕末維新で混乱していた時期に、ちょうどヨーロッパではクリミア戦争、アメリカでは南北戦争があり、西欧列強が日本に干渉できなかったというタイミングのよさが確かにありました。さらに、もう一つ大きな理由として、

 「渋沢栄一が日本に近代的な経済システムを導入し切ったこと」 がある、と筆者は考えています。

「日本資本主義の父」「実業界の父」と呼ばれる渋沢栄一は、端的に「実行の人」でした。一九世紀、圧倒的な経済力や軍事力で世界の中心となったヨーロッパを視察したアジアの人々は、

 「ヨーロッパの力の源泉は、発達した経済の力にある」

 「資本主義による富の創出が、強大な軍事力のもととなっている」 と、その強大な軍事力とともに、経済的な繁栄ぶりに圧倒されました。当然、「ああいう経済システムがわが国にも欲しい」とか、「あんな民間の活力がわが国にもあればなあ」と望んだわけです。

 当然の話ですが、豊かな経済力なくして、国力も軍事力も築けません。日露戦争において、日本側は資金不足であやうく戦争継続不能に追い込まれそうになったのは有名な話です。

 しかし望むことと、それを実際にやり切ることとは大違い。日本には、奇跡的に渋沢栄一という「やり切る人」がいたからこそ、「いいなあ」「欲しいなあ」「ちょっとやってみたけど……」で終わらずに済んだわけです。四七〇余りの会社や、五〇〇といわれる社会団体との関わり、さらに日中や日米関係の改善に奔走した彼の異常ともいえる活躍ぶりは、その具体的な証として輝いています。

 この「実行」の問題は、もちろん現代にも大きく関わってきます。

 昨今日本でも政権が交代するようになりましたが、野党にいるときは素晴らしい政策やマニフェストを述べ立てた政党も、与党になった途端いきなり口が重くなったりするわけです。実行の難しさの前に言葉を飲み込まざるを得なくなるからです。

 もちろん政治家ばかりでなく、われわれ自身もまったく同じこと。ネットなどで「この飲食店は三ツ星」とか「この本は四点」とか点数付けをしたりしますが、「ではお前はそれができるのか」「言葉に釣り合うだけの技術を持っているのか」と言われれば黙るしかなくなってしまいます。望むだけなら、口だけなら、評価するだけなら何事も簡単なのです。

 渋沢栄一の場合、その志や考え方については『論語と算盤』や『論語講義』といった本をひも解くことによって理解できます。読んで頂ければわかるように、その内容はシンプルなものばかりで、みなが実践すればきっといい社会や企業が広がるもとになるだろう、という教えが述べられています。

 しかし問題は、いかにそれをやり切るかという点。本書の大きな狙いの一つとして、「よき思想」と「実践」との一線を越えるヒントを、第一線で活躍する経営者から得たいという思いがまずありました。

 さらに現代には、渋沢栄一が関連するもう一つ大きな問題が存在しています。端的にいえば、栄一が導入し、われわれが今も恩恵を受ける経済の仕組みが、昨今、岐路に立たされていることなのです。

 渋沢栄一が日本に導入したのは、彼がフランス留学のさいに学んだ、
 「信用によって経済を回すシステム」
 でした。つまり、
「私(金融機関)を信用して、庶民のみなさんはぜひお金を預けて下さい、それを私は国の発展に資する産業や信用できる企業に投資します。期待にこたえて利益が上がれば、そのリターンをきちんとお返しします」
という仕組みで、信用を媒介にお金を流通させ、経済を発展させようと目論んだのです。現代のわれわれにとってはお馴染のシステムですが、当時、これは画期的でした。

 一八世紀の半ばまで、金融の世界には「高利貸し」しかいなかったといわれています。『ベニスの商人』や『罪と罰』といった文芸作品、さらには日本の時代劇に象徴的なように、こうした商売には東西の別なくあまりいいイメージはありませんでした。

 ところが栄一がフランスに留学する少し前あたりから、「バンカー」といわれる存在が登場し始めます。「高利貸し」の仕事が「金銭の調達」であるのに対して、「バンカー」の仕事は、先ほど触れたような「信用の調達」。「高利貸し」に比べて「バンカー」には、明らかにプラスの評価─ちょっとお高く社会的な信用も厚いイメージがありますが、それはこうした仕事の違いに起因するものでした。

 しかし、その金融の信用が昨今、あきらかに毀損しています。日本でいえばバブルでの過剰融資や、その後の貸しはがしの問題などがありました。また、世界でもリーマン・ショックやギリシャ危機が起こり、信用収縮が大きく取りざたされました。

 いわば「バンカー」が「高利貸し」に先祖返りを起こしてしまったようなものですが、これは一体何が悪かったのか。栄一の導入したシステムに耐用年数が来たのか、それとも後世の人間の運用の仕方に何か間違いがあったのか─。

 こうした「実行」や「信用」といった現代が直面する難問をもとに、渋沢栄一や『論語』の教えを実践している経営者の方々へインタビューしたのが本書の内容になります。金融はもちろん、機械、化学、食品、流通、サービス、エンターテイメント、教育、コンサルティングという、その多様な業種からは、奇しくも、 「日本はなぜ愚かなバブルに突入し、どうおかしくなり、なぜ復活に時間がかかっているのか」
「日本のものつくりの将来はどこにあるのか」 といったテーマが、多面的に解き明かされてもいます。評論家や学者といった立場からの声ではなく、生々しい現場を預かる責任者の声として、きわめて示唆に富んでいると筆者は考えます。混迷の続く時代を照らすヒントとして、本書を活用して頂ければ幸いです。

 なお本書は、守屋まゆみが企画し、公益財団法人渋沢栄一記念財団が監修いたしました。多忙のなかインタビューに応じて頂いた経営者の方々、そしてインタビュアーや鼎談者として参加頂いた田中一弘一橋大学教授と渋澤健さん、さらには事務方を一手に引き受けて頂いた加藤晶さん、編集の労を取って頂いた白石賢さんと櫻井さおりさんに、記して感謝を捧げます。