『教養としてのコンピューターサイエンス講義』における、東洋大学情報連携学部 学部長 坂村 健 氏による「解説」を以下に全文公開します。本書の狙い、内容構成、読みどころ等を知っていただければ幸いです。

解説 坂村 健

 現在、全世界で ─ 我が国では最近になってだが、「DX:デジタル・トランスフォーメーション」が話題になっている。DX とは、IoT、AI、オープンデータ、クラウドコンピューティングといった最先端の情報通信技術を駆使して「仕事のやり方」にイノベーションを起こす ─ デジタル時代に合わせて、単なる改善ではなく根本的に仕事のやり方を改革することによって、大きく生産性を上げるという動きだ。


DXの本質とは何か

 紙書類を前提とした従来のやり方、単に個々の書類の作成に表計算ソフトやワープロを使うといったレベルの小手先のデジタル化ではなく、すべての関係情報をデータベースに集めそこから必要なデータセットを適切な形式に変換してそれぞれの部署で見られるようなインフラを確立した上で、それを前提に最適なやり方をリデザインし、それに合わせてアプリを開発する。そういう基本部分からのデジタル化がDXだ。

 なぜ今DX かというと、スマートフォンの普及からAI の実用化まで様々な技術進歩がそれを可能にしたからだが、それ以上に重要なのは、今までの小手先のデジタル化以上の効率化が世界の先進諸国で求められているからだ。DX は、企業から行政まで、製造業から教育まで、すべての社会プロセスを大きく変え、少子高齢化や省エネなど多くの解決が難しい社会問題 ─ いわゆるSDGs を達成しうる鍵となる。同じ仕事をより少ない人手で行うことができれば ─ さらに自動化してAI による最適制御を行えれば ─ そのために、社会プロセスのDX が必要なのだ。

 しかし、同時にここにきてDX の難しさが特に日本において顕著であり、世界レベルでは日本の弱点として見えてきている。各現場 ─ それぞれの仕事をよく理解している人が、主体性を持って「やり方」をどう変えるか考えることがDX の大前提。しかし「改革」がすべての分野に及ぶということに対して、今までのやり方を変えたくないという抵抗や「コンピューターはよくわからないから、専門家に任せればいい」といった他人任せの姿勢が日本では特に強い。

 企業や行政などの組織をDX するとき、従来のように大手のシステム会社に丸投げでシステム開発させるようなやり方は、全くといっていいほど失敗する。DX では「従来のやり方」を下敷きにできないからだ。最終的にコーディング(プログラミング)は外部委託するにしても、デジタル技術の可能性を前提に業務のやり方をゼロから考え直すことは、その業務のことをよく知っている人がやるしかない。特に日本では、現場が主体的にやらない改革はうまくいかないだろう。「上からの改革」に抵抗の強い日本では、みなに理解を得られないDXはたいてい頓挫する。逆に言えば、情報通信技術についての理解 ─ 簡単な歴史から原理、その可能性と限界まで ─ を、社会のすべての構成員が持ち一般教養になっている国は社会のDX にとって有利になる。


コンピューターサイエンスはなぜ重要か

 こういう前提を理解した上で本書を見てみると、本書が持つ意味は大きい。コンピューターのハードウェアの基礎からソフトウェア、インターネットからIoT、さらには著作権やプライバシー問題まで、押えておくべき「デジタル時代の教養」はすべて網羅され、しかもその「広さ」と内容の「深さ」のバランスが良い。

 今までも多くのコンピューター関連の「?入門書」はあったが、範囲が狭いか、広くても内容が浅すぎるなど「教養書」と呼べるものはじ仕事をより少ない人手で行うことができれば ─ さらに自動化してAI による最適制御を行えれば ─ そのために、社会プロセスのDX が必要なのだ。

 しかし、同時にここにきてDX の難しさが特に日本において顕著であり、世界レベルでは日本の弱点として見えてきている。各現場 ─ それぞれの仕事をよく理解している人が、主体性を持って「やり方」をどう変えるか考えることがDX の大前提。しかし「改革」がすべての分野に及ぶということに対して、今までのやり方を変えたくないという抵抗や「コンピューターはよくわからないから、専門家に任せればいい」といった他人任せの姿勢が日本では特に強い。

 企業や行政などの組織をDX するとき、従来のように大手のシステム会社に丸投げでシステム開発させるようなやり方は、全くといっていいほど失敗する。DX では「従来のやり方」を下敷きにできないからだ。最終的にコーディング(プログラミング)は外部委託するにしても、デジタル技術の可能性を前提に業務のやり方をゼロから考え直すことは、その業務のことをよく知っている人がやるしかない。特に日本では、現場が主体的にやらない改革はうまくいかないだろう。「上からの改革」に抵抗の強い日本では、みなに理解を得られないDXはたいてい頓挫する。逆に言えば、情報通信技術についての理解 ─ 簡単な歴史から原理、その可能性と限界まで ─ を、社会のすべての構成員が持ち一般教養になっている国は社会のDX にとって有利になる。


大御所がやさしく分かりやすく説く

 こういう前提を理解した上で本書を見てみると、本書が持つ意味は大きい。コンピューターのハードウェアの基礎からソフトウェア、インターネットからIoT、さらには著作権やプライバシー問題まで、押えておくべき「デジタル時代の教養」はすべて網羅され、しかもその「広さ」と内容の「深さ」のバランスが良い。

 今までも多くのコンピューター関連の「?入門書」はあったが、範囲が狭いか、広くても内容が浅すぎるなど「教養書」と呼べるものは少なかった。しかし本書は大学の教科書として書かれただけあって、歴史から始まり最先端まで体系的に書かれており、頭から読んでいくだけでコンピューターの歴史 ─ しかも「なぜそうなったか」といった理由まで含めて、素直に理解することができる。その点で本書は理想的な「デジタル時代の教養書」となっている。

 本書を書いたプリンストン大学のブライアン・カーニハン教授は、公式規格化されるまでのC 言語の事実上のバイブルだったコンピューターサイエンスの分野の古典 ─『 プログラミング言語C』の共著者の一人。もう一人の著者のデニス・リッチーと併せた「カーニハン& リッチー(通称:K&R)」として、UNIX ─ 特にC の世界での「神様」だ。『プログラミング言語C』は今もこの世界で教科書として使われている。また、多くのプログラミング言語入門書で最初のプログラムの例題として出てくる「Hello world」もカーニハン教授が始めたもので、この分野での研究だけでなく、代表的教育者としても知られている人物だ。その教育経験を通してであろうが、氏のコンピュータに関する「一般向け教養書」が少ないという問題意識は全くその通りで、私も全く同じ問題意識で以前『痛快!コンピュータ学』という本を上梓した。そのため、このような本を書く「広さと深さ」のバランス ─ さらには難しいことを簡単に書く難しさはよくわかる。

 自分で言うのもなんだが『痛快!コンピュータ学』もよい本だと今でも思うし、おかげさまで現在も売れている。一般読者向けの書き下ろしなので、大学教科書由来の本書よりくだけていてとっつきやすいと思う。基礎的なところは全く変わっていないので、30 ほど前の本なのに全然問題ない。本書もそうだが、きちんと学問的基礎から書かれている教養書は古くならない。「ワープロ入門書」とは異なるのである。この本も、長く読まれる名著だと思う。しかも今の時点では最新だ。最新の技術については本書でぜひフォローしていただきたい。

 なお『痛快!コンピュータ学』と比べて気が付いたのは、本書の図の少なさだ。コンピューター関係の「解説書」として見るなら異例の図の少なさだと思う。しかし、頭から文章を読んでいくと自然に頭に入ってくるところはすごい。多分著者が意図的に行っているのであろう。翻訳がうまいのと併せて、各項目の文章の長さがよく考えられており、すらすら読める。その意味で、本書は「文系」の教養書に非常に近いスタイルで書かれている。それでいて、内容的にも妥協していないところが素晴らしい。


「新時代の教養書」

 一般の基礎教養として情報通信技術への理解が重要ということは、私も折に触れて主張してきた。そのせいもあってか日本でも ─ 世界からはいささか遅れたものの2020 年から初等中等教育において義務教育に取り上げられた。ただそれはこれからの人々にとってである。すでに社会に出た人はぜひ本書を読んでほしい。

 DX喫緊の課題になっている企業人から行政パーソンまで、さらには医師から建築までのすべての現場人にとって必須の「新時代の教養書」 ─ 本書レベルの教養を持った人が多く出て日本のDX が進むことを、願っている。