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「乙武問題」を契機に、障害者の歴史を振り返る(4/5ページ)

2016.04.20

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人はそれがなくなって初めて知る…筆者の場合

 筆者も生まれつき右腕が動かないため、これまでの人生、何かと不便を強いられてまいりましたが、それだけに周りの人からの温かい援助に扶(たす)けられてこの歳まで無事に生きてまいりました。

 まだ私が中学校にあがったばかりのころ、学生服の襟(えり)のホックを片手でかけられず、クラスメイトに留めてもらっていたものです。テレビゲームが流行するようになると、左手で「自機操作レバー」を操り、右手で「射撃ボタン」を連打しなければなりませんでしたが、右手が動かない私に、友人が代わりに右ボタンを連射してくれたものです。

 例を挙げればキリがありませんが、一事が万事、このように私が片手で難儀していると、いちいち私が声を上げて頼むまでもなく、それを見ていた周りの誰か彼かが手を差しのべて扶けてくれたものでした。私は、こうした周りの人の援助と保護と慈愛のおかげで、あまり不自由も感じることなく暮らすことができていたのです。

 しかし、ここで重大な問題があります。私はこのとき、親・兄弟・友人・知人、その他周りの人たちの温情・愛情・慈悲に守られて生きていたのに、そのことに対してまったく「感謝の気持ち」がなかったのです。人間というものは、「物心つく前からあたりまえのように在る」ものに対して、感謝の気持ちが持てないものです。

 私の場合、大学一回生の時にこのことに気が付かされる出来事が起こりました。

 ある日、大学でできた新しい友人とゲームセンターに遊びに行ったときのこと。私はゲーム機の前に座り、コインを投入すると、いつものように友人にいいました。

 「俺がゲームをやっている間、発射ボタン連打してて?」

 しかし、その友人の反応は私にとって忘れることのできないショッキングなものでした。

 「え?やだよ。なんで俺がそんなことせにゃならん?」

 私はこれまでこんな言葉を聞いたことがありませんでした。高校までの友人は、何ひとつ嫌な顔とてせずやってくれていたことでしたので、そのときの私は、後頭部を棍棒でブン殴れたようなショックを受けたものです。

――え? やだよ……? や……なの? そ、そうだよね! やだよね! やに決まってるよね!

 なんでこんな当たり前のことに今まで気がつかなかったのだろう?
 そうか、今までの友人だってやだったんだ!
 それを文句ひとつ言わず、こころよく進んでやってくれてたんだ!
 俺はみんなの愛情と慈悲と憐れみに護られて生きてきていたのか!!

 私はこの「ゲーセン事件」で初めて、そのことに気づかされたのでした。しかし乙武氏は、40歳を迎えた今なお、そのことに気づいていないのでは……と思わずにはいられません。以前、彼があるレストランに入店を断られてトラブルになった件や今回の不倫問題の根っこは、そんなところにあるように感じられます。

 私は右腕だけですが、乙武氏は両手両脚を“五体不満足”としてこの世に生を受けました。恐らく私など比較にならぬほど、周りの人たちから多くの温情と慈悲と同情を一身に受けて育ってきたでしょう。しかし、それがゆえに、私以上にそうしたことが“当たり前”になってしまい、感謝の気持ちに気づく機会が失われたのかもしれません。彼が今なすべきことは、まず自分の周りの人々の「愛」を感じ、理解し、これに感謝し、どうすればその恩に報いることができるかを考えることではないでしょうか。

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