
![]() 古今東西、交通の要衝の名をほしいままに
京大は地震予知のための“坑道内観測所”を岐阜、福井、奈良、兵庫など西日本を中心に14カ所持っている。自前で掘った3カ所を除くと鉱山の廃坑、防空壕、さらには旧日本軍が本土決戦に備えた地下大本営のあなぐらなどを活用している。 逢坂山観測所から旧国道1号を歩いて浜大津に下った。かなりの下り坂で、明治初期の旧東海道線が膳所でスイッチバックせざるをえなかった理由がよくのみこめた。途中、現在の複々線の東海道線を跨線橋でまたぐ。2本のトンネル口が赤れんがづくりで、大正10年開通という年代を感じさせる。 浜大津から京阪石山坂本線で御陵町の大津市歴史博物館へ。三井寺駅を過ぎるとすぐに琵琶湖疏水の小さな鉄橋を渡った。この水路も逢坂山の北側をトンネル(全長2346メートル)で抜けており、完成は逢坂山トンネルより10年遅い1890年(明治23年)。その後、第二疎水トンネル(約7400メートル)が1912年(大正元年)に貫通している。 逢坂山を中心にして大津と京都間には、鉄道、道路、水路あわせて20線分のトンネルが通っている。ひとつの地域これだけトンネルが集中してしているのは全国でも珍しく、古今東西、交通の要衝の名をほしいままにしてきた逢坂山の面目躍如といったところだろう。 最後に訪ねた大津市歴史博物館では、10年前の「大津の鉄道百科展」で、逢坂山トンネルを「大津の鉄道の夜明け」として詳しく紹介。地元の逢坂小学校では、身近な歴史教材として逢坂山トンネルをとりあげている。同博物館の学芸員、木津勝さんは「ここは歴史の宝庫ですが、近現代という新しい歴史にももっと光をあてていきたい」と話している。
筆者プロフィール
土田芳樹(つちだ・よしき 日本経済新聞 編集委員) 1947年山口県萩市生まれ。日本経済新聞社では仙台支局長、運動部長などを経験、2000年から編集委員。05年5月から夕刊「こころのページ」で<奥の細道を歩く>を5カ月間連載。07年1月から<秩父巡礼>、同年7月から11月まで<還暦カミーノ・スペイン巡礼記>を連載した。
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