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産業遺産の旅-人と味
【鉄道の父 井上勝】第一回 逢坂山トンネル
2009/01/16

 東京のJR品川駅の南方に、新幹線と東海道本線に囲まれるように墓地がある。その一角を占めるのが、「鉄道の父」といわれる初代鉄道局長、井上勝の墓だ。同じ長州藩士だった伊藤博文らと共に英国に密航し、以後、近代化に大きな役割を果たした鉄道に一生をささげた。2010年は没後100年。「奥の細道」の完全踏破や、スペインのサンティアゴ巡礼の経験を持つ土田芳樹日本経済新聞編集委員が井上の事業の跡や生地の萩市を歩いてたどった。

1880年に開通した逢坂山トンネル東口。JR西日本の鉄道記念物となっている

これやこの ゆくもかえるもわかれては
しるもしらぬも あふさかのせき

 平安時代、「盲目の琵琶法師」とよばれ、音曲芸道の祖神として崇敬された蝉丸が詠んだ、百人一首でおなじみの歌である。山城の国(京都)と近江の国(滋賀)を隔てる逢坂の関は、いにしえの昔から上洛する人や東国への旅立ちの関門として数多く歌にうたわれてきた。

 京都・大津間の逢坂山(標高325メートル)付近は、いまも国道1号をはじめ名神高速道路、JR東海道本線、京阪京津線などが切り通しやトンネルで平行して走り、むかしもいまも変わらぬ交通の要衝である。逢坂山の北側にはJR湖西線の長等山トンネル、南側には東海道新幹線の音羽山トンネルが通る。

 逢坂山に初めて掘られたトンネル(全長664.8メートル)が、1880年(明治13年)に開通した旧東海道線の逢坂山トンネルである。日本人技術者が設計、施工したわが国初の山岳隧道であり、明治新政府で初代鉄道局長を務めた井上勝が工事の総責任者だった。

 この逢坂山トンネルは1921年(大正10年)、東海道線の線路変更で使われなくなったものの、トンネルの東口はいまも当時の姿をとどめている。JR西日本が「日本の鉄道の歴史に残る、技術史上でも大きな意義をもつ」鉄道記念物として保存している。

逢坂峠にさしかかる国道1号、その上を名神高速が走っている

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