
![]() 浅野に10年先、20年先を見、後世に残るとてつもない事業に向かわせたのは、1896年(明治29年)から翌年にかけての欧米視察だった。日本の港では、横浜港でさえ、大型船は沖合に停泊して艀(はしけ)によって荷役を行っていたが、欧米では巨船が岸壁に横付けし、港湾設備も理想的に整っていた。日本との差に衝撃を受けた浅野に、川崎~鶴見の遠浅の海岸を埋め立て、生産と運輸を直結する日本初の「臨海工業地帯」の構想が浮かんだ。しかも、政府に頼らない、自力での事業計画だ。 東京湾埋立会社(現東亜建設工業)などの手で大正はじめに着手した150万坪もの埋め立て工事は、約15年の歳月をかけて、1927年(昭和2年)にようやく完成、物資輸送を担う鶴見臨海鉄道(現JR鶴見線)も敷設してあった。浅野セメント、浅野造船所(後の日本鋼管、現JFEスチール)など関連企業や日清製粉、東京瓦斯などが次々に進出して、京浜臨海工業地帯が形成された。「世間に使えないものはない」と、人が目もくれない廃物を利用して巨額の儲けを得、それを元に事業を広げた浅野にとっては、埋立事業さえ、巨大な廃物利用であった。「リサイクル王」「資源再生王」と呼ばれるゆえんだ。 江戸末期に生まれ、明治、大正、昭和と三つの時代を事業家として走り続け、裸一貫から一代で50社以上の多岐にわたる事業をてがけた浅野総一郎は、1930年(昭和5年)11月、83歳の生涯を閉じた。趣味やぜいたくとは無縁の、事業一本槍の人生であった。 「糸偏」には全く手を出さなかった浅野だが、彼の並外れた企業家精神を刺激したのは、おそらく“明治の横浜”、そしてその前に広がる広大な海だったのであろう。絹の道の終点は、日本の近代化、新しい時代への出発点だった。 筆者プロフィール
村橋 勝子 氏 (むらはし・かつこ) 社史研究家。明治以降わが国で刊行された社史の約8割(1万冊)の現物を観察、斬新な切り口による実態分析を行なって『社史の研究』にまとめた。社史の面白さや情報源としての魅力を掘り起こしているほか、隣接分野の「企業家」や「産業遺産」にも活動範囲を広げている。経済産業省「産業遺産活用委員会」委員。他の著書に『にっぽん企業家烈伝』『カイシャ意外史 社史が語る仰天創業記』 主な参考文献 次ページから、食の産業遺産として「工女も愛した和風たれカツ丼の謎」を掲載。
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