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永遠のジャズ!
バッハの曲をジャズ風にアレンジし 一般の音楽ファンから熱烈な支持
ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ
ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ

 ジャック・ルーシェは1934年に南フランスのアンジェで生まれた。少年時代から家にあったピアノを弾き、両親からの手ほどきでめきめきと才能を伸ばしていく。そこで、両親は彼をクラシックのピアニストにしようと考え、本人の希望もあって16歳でパリのコンセルバトワールに入学させる。当時から才能には相当なものがあったようで、音楽院ではもっとも評判の高いクラシック・ピアニストに師事することが許されている。

 しばらくすると、ルーシェは厳しいレッスンのかたわら、生活費の足しにとアルバイトを開始するようになった。それもポピュラー音楽の演奏だったことから、彼の抱く興味はクラシック以外にもシャンソンやポップスやジャズに広がっていく。

 こちらの方面でも才能を開花させたルーシェは、音楽院を卒業した直後に人 気シャンソン歌手のシャルル・アズナヴールに認められ、彼の伴奏者としてプロの道を歩みだす。またこのときの伴奏ぶりが評価され、1958年にはフランス・デッカと契約を結び、スタジオ・ミュージシャンとしての活動を開始する。

 チャンスはいつ訪れるかわからない。暇を持てあましていた仕事仲間とスタジオの片隅で遊び半分のセッションをしていたときだ。ふと冗談で、ルーシェが「トッカータとフーガ ニ短調」のメロディを弾いたのである。それに即興でベーシストとドラマーが絡み、演奏はスインギーなリズムで継続されることになった。バッハのメロディを適当に崩しながら、ルーシェがジャズ的な乗りを加えていく。

 その演奏を偶然に聴いたのが、次のレコーディングの準備でスタジオにやってきたプロデューサーだった。彼はルーシェたちのプレイに耳を傾け、これはいけると判断し、その場でレコーディングしないかと持ちかけてきた。しかし、その申し出をルーシェは断っている。彼には“クラシックの演奏をするなら本格的な演奏でなければ”というこだわりがあったからだ。しかもこのときは遊びの演奏である。それをレコードの形で残すことに抵抗を感じたのだった。

 クラシックを徹底的に勉強していたルーシェは、しかしそのときのプロデューサーの言葉をきっかけに、バッハをジャズ風に演奏することに心が傾いていく。当時の気持ちを、彼はのちにこう回想している。

 「ある曲を一所懸命に練習しているうちに、だんだん我慢ができなくなってきて、そこから抜け出したくなった。それてハーモニーを変えたり、対旋律を創り出したりしているうちに、わたし自身の音楽が出来上がっていった...。わたしは、非常にドイツ的な作曲家であるバッハの、純粋で厳格な旋律にのめり込んでいった。若いころには、いつもそんなことをやっていた。あれは楽しいゲームだった。音楽院の食堂で食事を終えると、友人たちは決まって、“さてと、ジャック、君のバッハを聴かせてくれよ”といったものさ」

 この言葉からもわかるように、スタジオで遊び半分に演奏してみたジャジーなバッハは、学生時代からルーシェが試みていた手法に基づくものだった。そして例のスタジオの一件に話は戻るのだが、その後に彼はもう一度、今度はリーダー・レコーディングを行なうためにデッカのオーディションを受けている。

 当時のフランス・デッカでは、初めてリーダー・レコーディングを行なう際には、それ以前にプロデューサーが認めていようが、社長がOKを出していようが、必ず重役たちの前でオーディションを受けることが決まりになっていた。まだバッハの曲をジャズ風にアレンジしてレコーディングするかどうかは、ルーシェ自身も決めかねていた。しかしとにかくオーディションを受けるようにとくだんのプロデューサー氏にいわれ、その場に挑んだのだった。

 「わたしは彼らの前でクラシックやジャズや民謡などを何曲か弾いた。そして、いちばん最後に冗談のつもりでバッハを弾いたらみんな飛び上がった。“いますぐ君と契約しよう。そして、そのアイディアでアルバムを作ろう”だってさ」

 これで決まりだった。25歳のときに吹き込まれた『プレイ・バッハ』は、大々的なプロモーションもされず店頭に並べられたが、それでも2週間で初回プレスの6000枚が売り切れたのである。レコード会社は慌てて追加プレスをしたものの、店頭に出すやすぐに羽が生えたように売れてしまう状態がしばらく続く。

 結局、この『プレイ・バッハ』はデッカの人気シリーズのひとつとなって第4集まで制作され、その後もルーシェは“プレイ・バッハ”の名前でさまざまなレーベルに作品を残し、世界中でコンサートを開き、現在に至っている。

ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ

 ジャック・ルーシェは1959年に『プレイ・バッハ』を録音するや、世界中のファンから喝采を持って迎えられた。ただし、当初は偏見もあった。それもジャズ・ファンやクラシック・ファンからのものである。クラシック・ファンからは、クラシック音楽への冒涜ととらえられたようだ。ジャズ・ファンからは、彼の行為がジャズへの冒涜と見なされたのである。その板ばさみにあったわけだが、ルーシェの演奏を支持したのが一般の音楽ファンだったのは皮肉な話だ。しかしクラシック・ファンよりもジャズ・ファンよりも、一般の音楽ファンのほうが数は圧倒的に多い。彼らに支えられてルーシェの作品は世界中でヒットを記録し、その結果、『プレイ・バッハ』はシリーズ化され、第4集まで立て続けに発表された。この作品はその後になって別のレコード会社からリリースされた演奏でまとめられているが、若い時代の録音に比べ、円熟した味わいが耳に心地よく響く。

今回紹介したアルバム
ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ
『ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ』
\4,200(税込み)
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小川隆夫(おがわ・たかお),整形外科医・JAZZジャーナリスト。

1950年生まれ。60年代から70年代初めにかけての学生時代,渋谷や新宿のジャズ喫茶に通い詰める。ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後,『スイングジャーナル』誌の連載を持つとともに,JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がける(ギネス申請中)。マイルス・デイビスや,ブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど,現役の整形外科医としても第一線で活躍中。ブルーノート完全コレクターとしても世界的に知られる。JAZZ関連の著書は『マイルス・デイビスの真実』(平凡社),『ブルーノートの真実』(東京キララ社)など。JAZZブログは,「Keep Swingin'」。
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