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セカンドステージ冠婚葬祭講座
<葬祭編:第52回>葬式は無用か必要か?
2009/03/06

 冠婚葬祭のやり方やマナーにはいろいろな考え方があり、どれが正しいのか分からないという読者の方は多いと思います。そこで、雑誌『SOGI』編集長で死や葬送関係に関する評論活動をされている、碑文谷創さんに現在の葬送についてQ&Aの形式でお訊きします。今回は葬式無用論についてです。

Q: 「葬式無用論」が以前にも唱えられたことがあると聞きましたが?

A: 『葬式無用論』という本が出されたのは1968年(昭和43年)11月1日、発行元は「葬式を改革する会」です。今で言う市民団体が自主制作、自主販売したものです。

 事務所は、この会の中心人物である医師の太田典礼(1900~1985)氏の自宅に置かれました。世話人は3人で、一人は日本泌尿器科学会名誉会員の稲田務(当時、京都大学名誉教授)氏、もう一人は元代議士の東舜英氏でした。

 太田氏は、昭和38年(1963)に『安楽死のすすめ』を刊行しています。後に太田氏は、昭和51年(1976)に「日本安楽死協会」を設立。同会は昭和58年(1983)に「日本尊厳死協会」と改名しました。つまり「葬式無用論」を唱えた太田氏は今大きく問題になっている「尊厳死」を最初に唱えた人でもありました。

 稲田氏は、昭和39年(1964)に朝日新聞「声」欄に投稿しています。

 「死者を葬うのは、人間として当然の気持ちであり、それに何らかの形式が伴うのも自然であろう。一般に儀式が立派であると、自然にふんいきが盛りあがり、感情も高められる。その代りに、感情が不自然に高まると、素朴な情からかけ離れてしまうこともある。私は盛大な葬式に対して疑いを覚える。そこで私の死去の場合、ただ死亡通知を出すだけに決めた。それを受け取られた人は、心の中で私を悼んで下されば満足である。世間なみの葬式は行なわない。これは儀式的なことをやめるためと、会葬していただいたり、その世話をしてもらうなどの手数をかけないためでもある。すでに死んでいる私には、葬式は意味はない。ほんとうは生存中に一度でも多く、一人でも大勢に会いたいと思う」

 少し長く引用したが、できるだけ主唱者の意見を歪めることなく紹介したいためです。 この稲田氏の投稿は波紋をよびました。

 1968年(昭和43年)5月26日、東京学士会館で「葬式無用の会」を作ろうと約20名が集まり、もう少し幅広く集めようと「葬式改革の会」と改め発足しました。

 この議論の背景に、日本の社会が高度経済成長期にあり、葬式も大型化を進め、奢侈化に走っていたという状況がありました。

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