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キャラメル片手に町歩き
江戸の名残を歩く <神楽坂編>~矢来公園・赤城神社・毘沙門天~
2008/06/06

JR飯田橋駅の方から見た神楽坂の上り口

 神楽坂と言えば、街歩きのメッカとして全国区の街となっています。洋風の店が数多く立ち並ぶトレンディな街の象徴ですが、江戸時代は主に旗本・御家人などの武士が集住する町として知られていました。実際歩いてみると、意外にも江戸が数多く残っていることに気付かされます。

 そんな神楽坂の街を歩いてみましょう。

竹矢来の街

 神楽坂駅を出て、南に歩いて行くと、矢来町という町名がすぐ現れます。神楽坂駅から5分ほど歩いた所にあるのが矢来公園です。

 江戸時代、神楽坂駅の南側には若狭小浜藩主酒井家の広大な屋敷地(牛込矢来屋敷)が広がっていました。3代将軍家光の治世下、小浜藩主酒井忠勝は老中・大老職を勤めていましたが、家光は忠勝の矢来屋敷を頻繁に訪れています。

 明暦3年(1657)に起きた明暦の大火で、江戸城が焼け落ちます。天守閣も焼失し、以後再建されることはありませんでしたが、4代将軍家綱は江戸城からこの屋敷に避難してきたそうです。

 警備の御家人たちは抜き身の槍で警護の任にあたりましたが、その様子を模して、酒井家では屋敷の周囲に竹矢来を作ったと言います。いつしかこの竹矢来が評判となって、牛込屋敷周辺は「矢来下」と呼ばれるようになりました。

 明治に入ると、この屋敷を中心として町が区画され、牛込矢来町と命名されます(現在は新宿区矢来町)。

 ところで、「解体新書」で知られる杉田玄白は、小浜藩に仕える医者でした。享保18年(1733)に、この牛込屋敷で生まれています。

 平成16年(2004)9月に、新宿区は小浜市を通じて「小浜藩下屋敷説明碑」、「杉田玄白生誕地顕彰碑」の寄贈を受け、この矢来公園に設置しました。矢来屋敷という江戸の名残が、21世紀に入って、この地に刻まれたというわけなのです。


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