

![]() ![]() 2008/06/06
エルキュール・ポアロと言えば、ミステリーの女王、アガサ・クリスティーが生み出した20世紀を代表する名探偵である。数々のミステリー作品を世の送り出したアガサだが、なかでも傑作として高く評価されている作品に「オリエント急行殺人事件」(1934年発表)がある。舞台となったのは、国際寝台列車「オリエント急行」。トルコからの帰路、オリエント急行へと乗り込んだポアロが、同列車内で起きた殺人事件の謎を解明していくというストーリーである。
小説が書かれた20世紀前半、旅行の交通手段として支持されていたのが寝台車である。なかでも作品内に登場したオリエント急行は、今もなお豪華寝台車の代名詞とされる名列車である。オリエント急行の第1号車が運行されたのは、1883年10月14日のこと。同日午後7時30分、パリ・エストラーブール(現パリ東駅)を出発。トルコのコンスタンチノブール(現イスタンブール)まで当時は64時間かけて、欧州を横断する寝台車としてスタートした。 オリエント急行の生みの親は、ベルギー出身のジョルジュ・ナヘルマッカーズ。もともと鉄道好きだった言うジョルジュが、寝台車列車との運命的な出会いをするきっかけは愛する女性との別れからだった。 1867年、ジョルジュが22歳のとき、恋愛問題で父親から大反対を受け、強制的に米国へと留学させられてしまう。失意のなか、目にしたのは西部の開拓が始まって人々が活発に行き交う米国の姿。なかでも快適に夜を過ごせる最新型の寝台車に感銘を受けることになる。 このとき米国で活躍していたのは米国人技術者ジョージ・モーティマー・プルマンが考案した列車で、中央通路を挟むように横長のソファーが設けられていた。日中、乗客はこのソファーに座って過ごし、夜になると今度はカーテンで仕切り、ソファーをベッドとして利用するというスタイル。当時としては画期的な発明だった。 米国で寝台車の素晴らしを実感したジョルジュは、1年間の米国留学を終えて帰国。ほどなく寝台車を欧州で走らせるという構想に着手する。目指したのは、旅の快適さに加えて、個々のプライバシーを守れる豪華な寝台車である。米国で見たブルマンの寝台車は、中央に通路を設けているため向かいにソファーがあるだけ。乗客が他人の目をきにせずくつろげるという空間ではなかった。 そこでジョルジュは、通路を中央から車両の片側に配置して、座席が個室タイプになった寝台車を考案する。1872年にはオリエント急行の母体会社となるワゴン・リ社を発足。パリ~ウィーン間で寝台車の運行を始めた。豪華列車の旅は、当時の上流階級に強く支持され、ついに1883年10月4日。欧州を横断する豪華列車、オリエント急行が誕生する。
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