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充実生活見つけた
観光人力車のパイオニア、鎌倉の町を走る<その2>~町の品格を守る観光ガイドの役目も〜
2008/10/13

 社内の派閥抗争に嫌気が差し、35歳で会社員をやめた青木登さん(60歳)。小さな資本で、ひとりでできる仕事をしたいと、当時はまだ数も少なかった「観光人力車」に目を向けた。前回は、東日本にはまだなかった観光人力車として、鎌倉でいよいよ俥夫を始めることになるまでを紹介した。

 体力が重要な俥夫を還暦まで続けられたのは、青木さんの粘りと、地域との温かい交流があったからだ。今回は、青木さんの人力車が鎌倉の町に溶け込むまでを紹介し、青木さんにこれからの夢も語ってもらう。

青木さんには円覚寺門前で会える

無料で人を乗せて走る練習も

 1983年、青木さんは飛騨高山の人力車店から譲ってもらった1台の人力車を携えて、北鎌倉に居を移した。「人力車は、道路交通法上は自転車と同じ。免許も何もいりません。でも、人を乗せて道を走る以上、事故だけは絶対に起こしてはならないと心に誓いました」と、当時を振り返る。

 人力車は人を乗せたバランスが肝心。うっかり俥夫がかじ棒を離せば、客は後頭部から地面に叩きつけられることもある。青木さんは自分で研修期間は3ヶ月間と決めると、まずは、無人で人力車を引いて鎌倉の町を走った。そして、走る自信がついたところで、「練習ですから」と無料で乗ってもらい、お客さんを乗せて走る練習に励んだ。

 鎌倉は坂が多い。谷(やつ)と呼ばれる細い谷や坂道は鎌倉独特の景観だ。人力車が危険なのは、登るよりもスピードが出る下りのほうだ。人力車のブレーキは俥夫の足だけ。そして、急には止まれない。車が通れないばかりか、人力車が壁を傷つけそうな狭い路地もたくさんある。

 しかし、そんな道こそ人力車でしか味わえない醍醐味がある。だから、細い路地を走るコツも覚えた。ただ人を運ぶだけでなく、観光ガイドの役目も負う人力車の仕事は、道と街を知ることが大切だと悟った青木さんは、研修期間中、鎌倉中をくまなく走ってみた。


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