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充実生活見つけた
多くの人に良い作品を見せたい 市民活動で広げる映画の世界<その1>
2005/09/21

 市民のボランティアで運営する高崎映画祭は,来年20回目を迎える。この映画祭の発起人,茂木正男さん(58歳)は昨年12月,群馬県高崎市内に念願の映画館「シネマテークたかさき」をオープンさせた。

 NTT職員のかたわら,映画の素晴らしさを伝える活動を続けてきた茂木さんにとって,定年はひとつの区切りに過ぎない。映画館という拠点をもとにチャレンジは続く。「65歳を自分のピークにしたい」――そう言い切れる58歳の笑顔は若々しい。

政治の季節の後で,ちょっぴり遅れてきた映画青年

 高校を卒業して当時の電電公社に就職した茂木さんは,20歳頃から労働運動とセクトの活動に熱中する。沖縄返還闘争,佐藤訪米阻止闘争…。あの時代,熱い渦の真っただ中にいた。労組の役員をしている時はデモに参加して停職処分を受けた。

茂木正男さん

 「10年くらいそんな時代が続いて,30歳ちょっと前に挫折みたいなことがあったんですよ。それで8ミリ・フィルムで自主映画を撮り始めたんです。団塊の世代って,たいてい映画青年だったじゃないですか。ふつう,自主映画をつくるのは大学生だけど,オレは,ほら,その頃ちょっと元気なことやってたもんで(笑)。遅いんですよ」。

 茂木さんが8ミリを回し始めた頃は,映画産業が斜陽の道をたどり続けるのと裏腹に,自主映画の活動が盛んな時期。1977年には大規模な自主映画祭「ぴあフィルムフェスティバル」の第1回が開催された。その翌年には,自主映画界のヒーロー・大森一樹監督が松竹に抜擢され,自作脚本『オレンジロード急行』でメジャーデビューを果たした。従来の映画会社による撮影所システムが崩壊し,助監督の修業を経ない在野の若い才能が映画をつくる時代の幕開けである。

 茂木さんも「ぴあフィルムフェスティバル」には2回,応募した。「1次審査は通ったものの,2次審査で落ちました。何本か撮って地元で上映会をしたりしていたんですがね。そのうち自分でも才能ないのがわかったので,今度は見せる側にまわろうと思ったわけです」。

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