「エヴァの10年」は、この物語の「その後」を観たいのではなく、「この世界に住みたい」という私たちの欲求の表れなのかもしれない。この欲求が、「関連商品を購入し続ける」という形を取った、と考えることができる。ここから言えるのは、息の長い商品展開のためには、すぐれた物語や強いテーマ性を追求することより、「そこに住みたい!」と顧客に思わせる魅力的な世界を創造することが大切であるということだ。
庵野秀明の思いが顧客の共感を呼んだ
ただし、「エヴァンゲリオン」がこのようなマーケティングの発想のみで作られていたのではないことも、押さえておくべきポイントである。この作品には、庵野秀明監督自身の切実な思い(恋愛感情が絡んでいるとも言われた)が込められていた(『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』竹熊健太郎、『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』大泉実成などを参照)。当時のインタビューなどで明らかにされた思いは、あまりにも個人的なものである。だが、これが昇華し、作品として表わされたことによって普遍性を持った。ロングヒットの根底には、こうした思いへの共感がある。
また、「エヴァンゲリオン」で終始語られたテーマとして、自己の存在を否定しない程度の消極的な意味あいでの自己愛がある。それは、か細い身体が鎧をまとったような「初号機」(主人公が操縦するロボット)の造形に反映されている。こうした形の自己愛のあり方も、顧客の共感を呼んだ。
消極的な自己愛だけで生きていく世界は、魅力に満ちたものでなければやってられない。エヴァンゲリオンは、鑑賞する者たちにそれも与えた。例えば綾波レイの瞳の色は、この世界の「魅力」を象徴している。カミソリで切り裂かれた眼球でこちらを見つめる寡黙な少女に、得体のしれない恐ろしさと共に大きな魅力を感じるのは、空想の世界においては変質的とは言えない。
「エヴァンゲリオン」はこれに関連して、さらなる深みも提供した。綾波レイのような異形を描くからこそ、ロボットはかっこよく、キャラクターはすてきなものにした。異形なものしか提示されない世界では、われわれが共感することはなかっただろう。そして、われわれの共感がなければ、庵野監督の思いが羽ばたくこともなかった。
エヴァの魅力、「可能性」を感じられる
筆者は、PSP用のゲームソフト「新世紀エヴァンゲリオン2 造られしセカイ-another cases-」で遊んだことによって、「エヴァンゲリオン」の世界に住みたいという願望に気がついた。
このゲームは「ワールドシミュレーター」と謳って(うたって)いる。プレイヤーは、このゲーム内の「エヴァンゲリオン」世界の中で自由に振る舞うことができるのだ。主要キャラクターのほとんどが操作可能であり、ゲンドウ、マヤはもちろんのこと、温泉ペンギンにもなれる。
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