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他人事には思えない「龍が如く」の問題提起

2006年5月8日

(飯田 和敏=ゲームデザイナー)

「ゲームはもっと踏み込めないのか」

これは、セガが昨年末に発売したゲームソフト「龍が如く」のキャッチコピーだ。このゲームで遊んだ後、再度、コピーを読んでみる。すると、一見成熟したかのように思えたテレビゲームに、未踏の領域があったことを気付かされた。同業者としてはギョッとしてグッときた。

「龍が如く」(セガ/PS2対応・7140円税込)

このところテレビゲーム愛好家にとっては嫌な流れが続いていた。暴力表現が含まれているゲームソフトがある種の犯罪を誘発している、という意見が日常的に述べられるようになった。また、各方面から異論・反論があったにもかかわらず、「ゲーム脳」は人口に膾炙(かいしゃ)し、テレビゲームはすっかり悪者となった。

とどめは、神奈川県から始まった「GTAIII」の有害図書指定である。「GTAIII」はアメリカ産の人気ゲーム。過激な暴力描写があるため有害視された。これによって「GTA」シリーズの新作の発売は、日本では事実上の無期延期となった。このシリーズのファンは楽しみを奪われてしまっている。このことは“知る権利”とまったく関係ない話とは言えないだろう。

ゲーム年齢規制強化の功罪

こうした動向に対して、ゲーム業界団体は年齢規制の強化によって対処している。これを「規制強化によってテレビゲームの住み分けが進む。過激な作品はより過激にできるため好ましい処置だ」とする希望的な観測がある。しかし、現場はもっと生臭いビジネスの原理で動いている。「販売が制限される可能性のある商品を開発することに、どのようなメリットがあるのか?」。このような経営判断を覆す根拠を示すことは現実的にはたいへん困難なことだ。

われわれゲームクリエイターにも落ち度はある。ゲームソフトを販売するためにはハードメーカーのライセンス許諾が必要だ。こうした商制度における創作であることを言い訳に、問題視されそうな事柄は、より無難なものへと置き換えてきた。これは基本的に、ゲームクリエイターが各々の倫理観に基づいて自主的に行っていることではある。ただ、ゲームバッシングが強まる中、自主規制に拍車がかかり、結果的に“表現の自由”っぽいものを手放しつつあるような気がする。

“知る権利”や“表現の自由”をないがしろにして、表面的な暴力表現を封じること自体が暴力である。と、までは言わないが、いささか感じが悪い。いや、ぶっちゃけると、たいへん居心地が悪い。

なんてことをつぶやいてみたところで世論を変えられるものではない。このようにして、一つの文化がダイナミズムを失い滅びていくのか…。

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