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79年の「ラスト・ネヴァー・スリープス」は、“パンクへの回答”という意味でも重要な一枚だ。LPではA面がアコースティック・サイド、B面がエレクトリック(パンク)・サイドに分けられていたが、このA面(CDでは前半部分)があったからこそ、B面での爆発ぶりが鮮やかに際立っている。一見、混乱しているようでもあるが、この対比は周到に企図されたものだろう。トップの「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ(アウト・オブ・ザ・ブルー)」と対を成す、ラストの「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(イントゥ・ザ・ブラック)」が強烈。“ロックンロールはけっして死なない”という歌詞が、実にリアルに響く。のちに、この両曲に共通する歌詞の一節“錆つくよりは燃え尽きたい(It's better to burn out than it is to rust)”を書き残してニルヴァーナのカート・コバーンが壮絶な死を遂げた、というのも有名な話だ。
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同年に発表された「ライヴ・ラスト」は、ヤングにとって2作目の映画「ラスト・ネヴァー・スリープス」(DVDあり)のサントラだった。78年10月のコンサートの模様を収録したライヴ・アルバムで、演奏されるのはすべて既発曲。LPは2枚組で1面がアコースティック・ナンバーに割り当てられていたが、残りはヤングのファズ・ギターが唸りを上げ、クレイジー・ホースと一丸となった演奏が展開される。この音塊の圧力には興奮必至でしょう。
このあと、テクノ・ポップ、ロカビリー、カントリー、ブルース、ジャズ、R&Bと、気の向くままにサウンド指向やバンドを変え、次々とアルバムを送り出すヤングだが、どれもイマイチの時期が続く。
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そこにガッツンと現れたのが、91年の2枚組ライヴ・アルバム「ウェルド〜ライヴ・イン・ザ・フリー・ワールド」だった。この年の1月から始まったトゥアーで前座を務めたのは、ソニック・ユース、サウンドガーデン、ダイナソー・Jr.ら、グランジ〜オルタナティヴ勢。若い世代との接触が活力になったわけでもないだろうが、ここでは再びクレイジー・ホースを従え、ディストーションとフィードバックの嵐が吹き荒れる。アコースティック・セットなど眼中になし。ぼくは映像版(今は入手困難なようだ)でもこのアルバムを体験しているが、そこでは、この年に勃発した湾岸戦争がヤングの莫大なエネルギーの源となっていることがよくわかる。とにかく大音量でかけ、この轟音に浸るのが、正しい聞き方だろう。
以後のヤングは、またパッとしない。世間の評価が高かった92年の「ハーヴェスト・ムーン」にしても、パール・ジャムと組んだ95年の“Mirror Ball”にしても、20世紀最後のアルバムとなった2000年の「シルヴァー・アンド・ゴールド」にしても、ぼくは満足できなかった。いい曲も入ってるんだが…。それでも、“子供の心を持ったロック親爺”ヤングのことだから、いつ、どんな形でスパークするかは、誰にもわからない。
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