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バナナの皮をむいてみたら“ニューヨーク”と“アート”が…

2005年8月5日

かねてから、音楽を聞く場合、それが生まれた背景や地域性を重要視してきた。ひとくちにアメリカン・ロックといっても、東部、西部、中西部、南部など、それぞれの地域で独自のルーツ・ミュージックから影響を受けた特色あるロックが生まれている。もちろん、同じ地域から登場してもひと括りにできず、“個”としか認識しようのないアーティストも数多いが…。

たとえば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下、VUと略)の場合はどうだろう。彼らは、強烈に“ニューヨーク”という都市を意識させながら、なおかつVUミュージックとしか言いようのない“個”のロックを携えて、ぼくの前に現れた。しかも、そこには“アート”という第三の符号まで加えられていたのだった。

ブルックリン生まれでソングライター/バンドマンとして活動していたルー・リード(ヴォーカル、ギター)は、英ウェールズ出身でアメリカ留学中に現代音楽に深く入り込んだジョン・ケイル(エレクトリック・ヴィオラ、キーボード、ベースほか)と出会い、グループ結成を思い立つ。リードの大学時代の友人スターリング・モリスン(ギター、ベースほか)、現代音楽のラ・モンテ・ヤングが主宰したドリーム・シンディケイトでケイルの同僚だったアンガス・マクリーズ(パーカッション)を引き入れたグループは、さまざまに名を変えながら仲間うちのパーティなどで演奏するようになり、1965年夏にはSM小説のタイトルからヴェルヴェット・アンダーグラウンドと名乗るようになった。しかし、本格的な活動を前にマクリーズが脱退、VUはリードの同窓生の妹モーリン・タッカー(ドラム、パーカッション)を迎え入れる。

そんな彼らに目をつけたのが、ポップ・アートの巨匠アンディ・ウォーホル。66年4月、彼の発想によるマルチメディア・イヴェント“The Exploding Plastic Inevitable”の一環として、VUは世に送り出されることとなった。この頃、グループにとってパトロン的存在ともなっていたウォーホルは、ひとつの提案をしている。それは、ファクトリーと呼ばれた彼の仕事場にたむろする、いわゆるウォーホルのスーパースターたちのひとり、金髪で長身のドイツ人女性ニコをメンバーに加えないか、というものだった。大事なパトロンの願いを無碍にはできず、リードは彼女のために曲を書き、VUはデビュー・アルバムのレコーディングに入る。

「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」
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レコード・ジャケット史上のみならずポップ・アート史上でも傑作との呼び声高いアートワーク(ロック・ファンには“バナナ”で通りますね)をまとったファースト・アルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」は、67年3月のリリース。初めて聞いたとき、冒頭の「日曜の朝(Sunday Morning)」があまりに穏やかなフォーク・タッチだったので、驚くと同時に拍子抜けした記憶がある。その曲のみトム・ウィルスン(ボブ・ディランとの仕事で知られていた)、あとはウォーホルのプロデュースとクレディットされているが、おそらくスタジオでの実作業はすべてウィルスンが仕切ったのだろう。

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