第35回 画廊という不思議空間で得られるトキメキとは?
(小川 敦生=編集委員室編集委員)
画廊とは不思議な存在である。数百軒の画廊がひしめいている東京の銀座近辺。繁華街にもかかわらず、一軒一軒を覗くと、大抵の場合は閑散としている。美術館の企画展のように混雑しているのはまれだ。通りに面した店もあるが、ビルの上の階にある画廊の看板を見ると、いったいどんな人が入るのだろう、と考えてみたくもなるものだ。
普通の画廊は入場無料である。買わないからと遠慮して入れない人がいる一方で、買わずに見ただけで立ち去る客も実は多い。たくさんの人に見せるわけでもなく、買って行く客も多くないとすれば、画廊はなぜ存在するのだろうか?
結論から言えば、資本主義と市民社会が発達した近代以降の美術界においては、画廊は極めて重要な存在である。美術家たちは霞を食べて生きていくわけにはいかないので、作品を商品として売る必要がある。その作品を売るための空間である画廊を経営する画商は、才能を発掘する目と揺るぎない鑑識眼を必要とする。人間の持つ神に近い能力の賜物である芸術を扱う画商は、本来ステータスの高い仕事である。
もっとも、日本の一般社会では、画廊や画商についてのそうした認識が定着しているとは言い難い。画廊に胡散臭さを感じ、敬遠する向きもいまだにある。しかし、実際にはキャッチセールスのギャラリーにでも入らなければ、押し売りされることはまずない。それでもまだ入り難く感じるとすれば、それは客の心の持ち方の問題とも言える。
「ネクタイやスカーフを買うときと同じような感覚で、画廊に入ればいいのでは?」と話すギャラリー椿(東京・京橋)の椿原弘也氏は、画廊で働き始めて37年目。自分の画廊を開いて22年目というベテランである。美術館ほどではないものの、取材しているうちにも頻々と客が来訪しては帰って行く。目の前で絵を予約していく光景も見られる。ネクタイやスカーフだって気に入らなければ買わない。気に入ったら買う。それでいいのである。

「この顔、僕に似てるって言われるんですよ」。ギャラリー椿(東京・京橋)で、木村繁之の作品の前に立つ椿原弘也氏。開廊22年。画商として働き始めてからは37年目を迎えた。
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