we're golfers>>TOPへ
特集:Course Architect「設計家の系譜」近代的コース設計確立期
第1回 インテリゴルファーが設計家に転身
2005/12/21

© ハリー・コルト Harry Shapland Colt 1869〜1951 現代コース設計につながる設計論を提唱した最初のひとり。実現はしなかったが、東京ゴルフ倶楽部が駒沢から朝霞に移るとき、当初はコルトに設計を依頼したという

 スコットランドのリンクスランド(海と陸の出合う砂丘地帯)にコースが造られ、イングランドやアイルランドにまでゴルフが普及した19世紀の終わり頃になると、内陸にコースを造らざるを得なくなります。コース適地の砂丘地帯がなくなったからです。つまり、コース造成がリンクスランドからヒースランド(ヒースの繁る荒野)へ移るのでした。

 それまで、草に被われた砂丘の中で、平坦な場所をグリーンとティにして、フェアウェイの草を短く刈ればコースになった時代と違い、荒野にホールを造るのには特別な土木技術と知識が必要になります。

 そこに登場するのがプロゴルファーではなく、アマチュアの大学ゴルフ部で名を馳せたインテリゴルファーたちです。ハリー・コルトとチャールズ・アリソン。アリソンの名は日本でも「東京GC朝霞」「廣野」を設計し、“アリソン・バンカー”でお馴染みのはずです。

 イングランドの名門大学、ケンブリッジとオックスフォード大には共同のゴルフ部があり、全英アマ選手権や英米アマ対抗戦に出場する選手は”ブルー“と呼ばれる名誉あるプレーヤーで、13歳の年の開きがあるもののこのふたりは”ブルー“で活躍した選手で、卒業後はゴルフ場の支配人になります。コルトは「サニングデールGC」、アリソンは「ストークポージスGC」でコース管理や改造設計をするうちにいつしかコース設計の技術を身につけるのです。

チャールズ・アリソン Charles Hugh Alison 1882〜1952 コルトとともに近代的設計術の基盤造りを行ったアリソンは、1930年に来日、「廣野ゴルフ倶楽部」のほか、「川奈ホテル富士コース」などの設計を手がけている

 コルトは「セントアンドリュースGC」の会員として1913年に「エデン・コース」を、22年には「サニングデール・ニューコース」を設計して高い評価を得ます。38年には専門のコース設計家として独立し、アリソンと共同で事務所を持つにいたるのです。

 彼らはリンクスの名コースに学び、ホールの戦略性を分析して長所と欠点を洗い出し、内陸にコースを設計することを糧としました。その内容を著書にして発表したのが“Some Essay on Golf Course Architecture”(1920年刊)で、戦略的レイアウト、たとえばバンカーやハザードの置き方、ベストルートと迂回ルートなどを詳細に図解し、分析して見せたものでした。ミスショットを科罰するだけの“ぺナルパターン設計”より、腕前に応じて多くの攻略ルートを持つ“ストラテジックパターン設計”(戦略型)の方が近代的だと提唱したのです。この哲学は現代設計にも踏襲されている優れた理論でした。

 もうひとつ、彼らの提唱が近代的だったのは、設計図面を作成すること、植栽や灌漑施設を用意し、芝草や土壌研究までやったことです。1931年に来日して「廣野」を設計した図面を見ても、ホール図、グリーン詳細図は方眼紙に描かれ、数値で高さを表現する本格的なもの。造成工事の際に役立つ注意事項をメモしておく周到さです。  かつて、全英オープン・チャンピオンたちが小旗を手に歩いただけの設計とはまるで違う、最先端技術に裏打ちされた近代的コース設計の技術が確立されたのです。

セカンドステージ