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特集:Course Architect「設計家の系譜」ゴルフコース黎明期
第1回 トム・モリスと全英オープン・チャンピオンたち
2005/11/18
著名プロに設計依頼が殺到
全英オープンで4回優勝したオールド・トム・モリスは当時の売れっ子コース設計家だった。ホールに鉄製のカップを埋め込むことを考案したのも彼で、その大きさは現代も変わっていない

 6世紀もの昔から、スコットランドの海岸地帯(リンクスランド)で遊ばれていたゴルフはホール数もまちまちなコースで行われていました。リースにあった「マッセルバラ」が5ホール、「プレストウィック」が12ホール、「セントアンドリュース」はなんと22ホールでした。ルールもクラブも服装も勝手気ままなもので、いわば地方の遊びに貴族も戦士も町人も興じていたのでしょう。

 それが18世紀になってふたつの重要な発明が起きます。

 ひとつは、リンクスコースを持つプライベートクラブの出現と、もうひとつは、1754年、「ザ・ソサエティ・オブ・セントアンドリュース・ゴルファーズ」が、最初の4ホールを2ホールに短縮して18ホールに定めたことです。1835年には時のウイリアム四世から“ロイヤル&エンシェント(R&A)” の尊称を許されたのですから、英国ゴルフ界の元締め的立場にあったセントアンドリュースが実行することすべてがワールドスタンダード(世界基準)になったのです。

R&Aの初代プロで、コース改造を手がけたことから設計家第一号と言われているアラン・ロバートソン。ボール作りやゴルフの技術など、オールド・トム・モリスの師匠でもある

 このR&Aの初代プロがアラン・ロバートソンで、コース改造も手がけたので設計家の第一号といわれます。でも、実際に活躍したのは一番弟子で全英オープンに4回優勝したトム・モリスでしょう。息子もジ・オープンに4連勝しましたが、若くして夭逝した息子をヤング・トムと呼んだので、父親はオールド・トムと呼ばれました。

 当時のプロはボールやクラブを製造・販売するかと思うと、コース管理のキーパーもレッスンもしたものですが、それに加えて副業として各地のクラブに招かれ、新コース設計をしたのです。やはり、強いプロに仕事が集まるのは昔からの常識だったのでした。




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