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歴史を旅する……日本ゴルフ史の起源 日光カンツリー倶楽部&日光金谷ホテル
文●武田 薫
写真●北川 外志廣

2006/11/30
目に見えない勾配と攻め難さの謎

 緑のフレームに包まれた1番ホールに立つと、正面に男体山が待ち構えていた。右へ日光連山を配し、左に大きく開けた視界が解放感を招く。山に向かうフェアウェイが鮮やかな遠近法をなぞり、遠い打球音がひとつそこに呑みこまれたとき、風景のどこかでカッコウが鳴いた。

 自然が息をし、そこに日光があった。

   「フラットなコースに見えますが、2%の勾配で、高低差は55メートルありますね」と支配人の若林梅夫さんが手をかざした。

 その手の先の2番ホールの位置に大谷川の第2発電所があり、インのはずれ12番ホールの位置に第3発電所があるのだという。17番と18番は隣り合わせのほぼ同じ距離にもかかわらず、セカンドで持つクラブは3番手は変えなければいけないと笑った。バンカーの数は全体で33、池はひとつも掘られていない。そんなハザードの少ないコースにもかかわらず、日光カンツリーは攻め難いコースと唸るゴルファーは多い。分かったようで分からない謎めいたコース、そんな話を耳にすることがある。

   「なあに、そのうち赤松が伸びて立派なハザードになるよ」
開場した昭和30年春、設計者・井上誠一がそう予告したとおり、フェアウェイには見事な赤松林が微妙な枝をかざしていた。
   「このコースにはブルドーザーが入っていないんです。表土が10センチほどと、薄いため、入れられないのです」

 若林さんの脇を、キャディさんが元気な声をかけて出て行った。なるほど、ブルドーザーは入れないのだろうと合点したのは、電動や乗用カート全盛のいまでは珍しい手引き車である。手引き車はすでに需要がなく、生産は中止されていると聞いている。将来に備えて最近、電動カートに切り替えた小山カントリークラブから手引き車を譲ってもらったと若林さんは言った。すなわち、将来においてもカート道を作る予定はないということだ。

日光カンツリー倶楽部 栃木県日光市所野2833 Tel.0288-54-2128

開場当時のクラブハウスは昭和34年の火災で一部焼失。現在のテラスが張り出した食堂部分は昭和36年に建て直されたものだが、木の質感を生かした落ち着いた佇まいだ。クラブハウスから油川に架かる橋を渡り、コースへ向かう。
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セカンドステージ