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歴史探訪・戦後を歩んだ古都のサンクチュアリ 京都ゴルフ倶楽部 前編
文●武田 薫
写真●北川 外志廣

2006/07/26

 京都市街から北の方角に車で15分ほど、豊かな自然と濃い緑に覆われ、日本庭園を思わせるような美しいコース、それが京都ゴルフ倶楽部である。開場したのは昭和23年。戦後の復興間もない日本に初めて、しかも造られたのは聖域とされていた上賀茂神社の敷地内という、きわめて希有な場所だ。誕生のいきさつを訪ね、古都のサンクチュアリを訪れた。

静寂の下に眠る
戦後日本の激動の歴史

 京都ゴルフ倶楽部が、いまは世界文化遺産に指定された上賀茂神社の敷地内に完成したのは昭和23年、敗戦後3年目のことである。7月に6ホール、10月に9ホール、翌3月には18ホールと畳み掛けるように造られ、新築ゴルフ場としては、日本で戦後初のゴルフコースとなった。

 鞍馬街道に接する17番ショートホールのティグラウンド脇に、木枠で囲まれた3メートルほどの高さの木がある。「ご不浄無用」の白札が控えめに立てられ、その木札がなければ通り過ぎてしまうひっそりした木陰が「御阿礼所(みあれどころ)」だという。畏れ多くも神が降臨される場所…そう聞けば、仰ぎ見る蒼空にどこか神秘が宿るようだ。

 「毎年5月の葵祭の前には、ここで神事が執り行われます。深夜とも早朝とも聞いておりますが、なにしろ、人の目に触れない時間に行われるようでございます」

 吉見哲生支配人は両手を前で重ね、心なしか強張った神妙な表情で説明するのだった。

葵祭の前には、16番から17番に向かうカート道路に面したこの場所で、今でも神事が執り行われているという。

 京都三大祭のひとつ葵祭の歴史は遠く奈良時代まで遡り、上賀茂神社、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)に伝わる賀茂祭を継いだもので、5月15日に盛大に繰り広げられる。それに先立つ12日、宮司たちがゴルファーのいないカート道を通って17番ホールを訪れ、榊の枝への静神移しの儀を行うのだ。古色蒼然とした儀式が、目にも青いベント芝のはずれ、セルフカートを日本でいち早く取り入れたゴルフ場でいまも続く。

 パー69、ロングホールがひとつのこじんまりしたコースだが、癖のあるバンカーに囲まれたグリーンはどこも小さく、アプローチに苦しむ難コースと見うけた。1番ホール右にはもともとからあった小池という名の池が満々と水をたたえている。4番はその池に浮かぶアイランドティからフェアウェイを狙い、鵜が寄り添う対岸は池越えの9番。その後方に「古式泳法教練所」と書かれた小屋が立ち、歌手の加藤登紀子が幼い頃に習った思い出をどこかに書いていた。そして、ここが謡曲「鉄輪(かなわ)」に出てくるという。陰陽師・阿部晴明の物語で、嫉妬に狂った女が藁人形を手に牛の刻詣でをするときに池の前を通ったという。1番のフェアウェイあたり、そういえばここには女性キャディがいない……。ゴーンと、どこからか鐘が聞こえてきた。

9番ホールの後方に建つ「古式泳法教練所」の立て札。
毎年1月に行われる寒中水泳の様子はテレビでも放映。
目にしたことのある人も多いはずだ。

 人口150万の京都市街から車で15分に静寂が広がっている  それが京都といえばそれまでだが、道の向こうにひしめく住宅地との空間の差は大きい。その静寂の下に、戦後日本の激動の歴史が眠っているのだ。

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