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歴史を旅する……日本ゴルフ史の起源 神戸ゴルフ倶楽部 -「3世紀を生きるクラブライフ 第3回」
文●武田 薫
写真●北川外志廣

2006/02/03
ゴルフ場設立のきっかけは六甲山のゴルフ談議

 アーサー・グルームが、いまの六甲山牧場の近くにある三国池に別荘を建てたのは、明治28年(1895年)である。2002年に六甲山植林組合が百周年を迎えたが、グルームたちが通った頃の六甲は岩山に近い状態だったという。そして当時、体を動かすことは居留外国人の間でブームだった。

 新幹線の新神戸駅から20分ほど登ったところに、布引の滝があり、明治の初め、メリケン波止場から布引にあった茶店まで散歩やジョギングするのが朝の日課だった。祖国イギリスではロードレースが賞金レースとして盛んに行われ、都市間の徒歩競走が興味の的になっていた時期である。齢50に近づいたグルームにとって、だが、六甲山通いの目的はそれだけで終わらなかった。

現在のクラブハウスはアメリカ人、ウイリアム・メレル・ヴォーリス設計で昭和6〜7年にかけて改築されたもの。木造のシックな佇まいだ

 グルームは狩猟家だったのだ。ロンドン近郊で生まれ育った男だから、産業革命と踵を合わせヴィクトリア朝に気高く進化した田舎暮らしの知恵=ハズバンドリーの影響を受けていたはずである。博物学の奥行き、鱒釣りと狩猟の喜びを知った血が六甲の山へと足繁く通わせ、それが昂じて土地を借り、別荘を建てた。六甲山頂はいまでも神戸市内と比べて気温が3、4度低い。友人たちは涼を求めて通い、グルームは近くに次々と別荘を建てて友人たちに分譲し、外国人別荘村ができていった。

距離はないとはいえ、アップダウンのあるコースをキャディはバッグを担いで歩く。今やこんな光景は珍しい

 ある週末、三国池の畔に遊びに来た友人たちが、ゴルフ談議を始めたという。神戸倶楽部の理事長ソーニクラフト(Thornicraft)、セントアンドリュースでもプレーし、後に9ホールの設計も受け持ったJアダムソン、Gミルワード……ふたりのゴルファーの話を、グルームは興味深げに聞いていた。いまも残るセピア色の写真からすると、彼自身は祖国でゴルフをした経験はなかった風だが、ゴルフ熱は、国際化の最前線=世界の港まわりにいた商人たちのそこここに発生していた。たとえば、オリジナルメンバーのリストには長崎のトーマス・グラバーの名も残っていることをみても、それがよくわかる。六甲山のゴルフ談議はその熱気の一端だったから、ゴルフにうとかったグルームも興味を持ち、やがて六甲に槌音が響くようになる。信心深い妻の意見を容れて猟銃を置き、植林を始め、岩山改造にとりかかった。

次回「六甲の霞の中に息づく遠い歴史」につづく
セカンドステージ