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その翌年、ニクラスはジャンボ尾崎とも対談している。ダンロップフェニックス出場のため来日したときのことである。通訳はニクラスが絶大な信用を置いている人物。能力は、抜群だった。ところがスウィングの話になったときに、ニクラスは「いま、君が日本語に置き換えた言葉を、そのまま英語に置き換えて私に話して欲しい」と言ったのである。誰もが驚き、もちろん通訳にとっても予想外の出来事だったに違いない。ニクラスは「スウィングのテクニカルな説明は、最も重要なことなんだ。もしほんの少しでも誤解や誤訳があれば、ジャンボに間違ったことを教えることになる」と言ったのである。 先に肉体と精神の放物線の話をしたとき、ニクラスは自分が描いたふたつ重なるような放物線に数字を入れていた。 「いいかい。肉体線と精神線。最初は下からどんどん上昇していく。ふたつともね。それでいったんクロスする。そのクロスする地点が私の場合は、19、20歳。そしてその線は、同じ高さを(高いレベルのまま)ずっとキープして、最後は再びクロスしながら下降する」 「その下降するポイントは、何歳ごろですか?」と聞くと「96歳かな」そう言いながら数字を書いて僕に手渡してくれた。そして笑いながら「いや、正直なところ40、50歳だろうね」と言い直した。ニクラスが、そういう冗談めいたことを言った後はウインクをするのが癖らしい。そのときもウインクをして場を和らげていた。 ニクラスが、年齢とともに優勝争いから遠ざかるようになったのは、1982年全米オープンに優勝した後からだった。あのときも久しぶりの勝利だった。
しかし86年、ニクラスは46歳にしてマスターズの最終日、後半9ホールを30というスコアで回って、グレッグ・ノーマンを逆転、優勝した。 ニクラスにインタビューしたのは、それから7年後の93年5月だった。ニクラスは、53歳になっていた。4月のマスターズ、練習日の記者会見で、ニクラスは「シーズンオフはクラブを持つのも嫌で、プレーもしたくないという経験を生まれて初めてした」と語った。精彩を欠いていた。表情もニクラスらしくなかった。 でも、試合が始まった初日、彼は67で回ってきた。そして、苦笑いをしながら「不思議なもんだね。やっぱりマスターズはサムシング・スペシャルな大会だね」と記者たちを笑わせた。結果は27位だった。 僕は、インタビューで「過去に肉体と精神の話をしましたよね?」と聞いた。 するとニクラスは覚えていたらしく、こう話を続けた。 「あのとき……。確か、肉体と精神は、やがて一緒に下降線を辿ると言ったけれど、少し違ったね。不思議なことに、ここ数年、ゴルフの精神的な高揚感が再び高まってきた気がする。肉体的には、少し衰えてきているんだけど、精神的な充実感がかなりある。(試合に)出るからには、常にプレッシャーの中で戦っていたいし、そういうゴルフができるうちは、もっと試合に出たい。従って、あの放物線の精神的な部分は、そのままズルズルと下降するのではなく、一度プクッと盛り上がって一気に下降していくというのが、正しい」 次回「第4回 忘れられないのは負けた試合」につづく
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