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ゴルフを通じて喜びや楽しみを伝えたい
プロ入り2年目の77年7月に結婚式を挙げた妻の律子は,敬虔なクリスチャンだ。2年間勝ち星から遠ざかった80年,中嶋は一緒に教会へ出かけ,妻の勧めに従って洗礼を受けた。その年の三菱ギャランで久々の優勝。中嶋を支えているのは,家族と信仰であることに間違いはない。 92年,青木はアメリカのシニアツアーに活動の本拠を移し,日本のゴルフシーンはジャンボ一色になったが,その尾崎も02年の全日空で勝利を挙げて以来,勝ち星から遠ざかっている。Aが去り,Oがなりを潜めようとしていた頃,Nは復活を遂げる。02年の6月に行われたダイヤモンドカップで,実に7年1か月ぶりの優勝を飾り,11月のVISA太平洋マスターズにも勝って賞金ランク6位の位置に帰ってきたのだ。 「思うに,長い苦しい時期を味わうってことは,生きるための大きな武器になるね。悪戦苦闘している間にはいろんな人の話に耳を傾けたし,えらい坊さんの話も聞いたよ。もちろん,信仰がボクの支えにもなった。 賞金王だった頃の僕は,正直いって,プロアマでアマチュアの人と回るのが苦痛だったんだ(笑)。はっきりいって,優勝争いがしたいのに,なんでこんな行事に付き合わされなくちゃならないのかとも思ったよ。でも,いまはプロアマが面白くてたまらないの。ラウンド中に気がついたポイントを,簡単にレッスンしたりするでしょ。するとアマチュアの方が”ええっ,そうなの?“みたいな顔で聞いている。その表情を見るのがサイコーなんだ(笑)。 普通だとお目にかかることができない政治家や,企業トップの方の話を聞くこともできる立場にいることも,無駄にはしたくないし。プロゴルファーにとってゴルフは仕事だよね。仕事とは,まさに”仕えること“じゃない。ゴルフを通じて,喜びや楽しみを伝えることがすごく大切なことだと思えるようになったんだろうね。 02年の試合で2勝することができたのは,自分の中で大きかったと思う。それまで苦しみながらやってきたことの成果が現れ,レギュラーツアーでの答えを出せたわけだから。それでレギュラーツアーの中での”居場所“捜しは,一応決着をみた感じになったんだ。もし02年に復活優勝できていなかったとしたら,やっぱり,優勝争いのスリルや自分自身の”居場所“を求めて,アメリカのシニアツアーに目を向けていたかもしれない。 ただ,03年に娘(長女・佳乃さん)が結婚して,孫ができたこともあって,海外遠征に出かける気持ちが薄らいだこともあるね。実際,可愛いという言葉は,孫のためにあったのかと思う(笑),孫が可愛くてしかたないの。だからいまは,海外のシニアトーナメントは,スポットで挑戦すればいいと思っている。今回の全英シニアでも感じたけど,僕らの少し上の世代のプレーヤーたち,ワトソンもそうだけど,やっぱりフケたなと思う。そこへいくと僕らはまだ若々しいというか。欧米の選手の方が早く年寄りになる感じがするな。シニアで戦うなら,東洋人の歳の取り方の方が有利だなと思ったね。 それと,ターンベリーだったから感じるんじゃないけど,コース・セッティングにしても,向こうの試合は厳しいし,純粋にコースを攻略する楽しみが味わえる。ワンショット,ワンショットに対する賞罰がはっきりしてる。ワクワクするというより,プレーする者を唸らせてくれるというコースだし,セッティングになっている。やり甲斐を感じるよ。 もちろん,僕は日本でもアメリカでも,レギュラーツアーだろうとシニアの試合だろうと,自分が出たいように出るつもり。これまで積み重ねてきた経験から得たものを,さまざまな場所やステージで出していきたいからなんだ。以前は,トーナメントっていう太い幹しか見えていなかったけど,いまの僕には,その上に大きく広がっている枝や葉っぱが視界に入っているって感じかな。 考えてみると,僕がプロになった頃と比べて,ゴルフ界は信じられないくらい発展を遂げているよね。プロトーナメントの練習場のボールが,キズだらけのダンゴボールだった時代があったなんて,若い連中は思いもしない。だからこそ,僕はいい時代に生まれ合わせたんだと思うよ。 中嶋は知る人ぞ知る『29年会』 のメンバーでもある。昭和29年生まれで構成される会員には,日本の舵取りを担おうとしている安倍晋三官房長官も名を連ねる。同じように,中嶋にはゴルフ界を正しくリードしていく役割が期待されているといっていいだろう。AでもOでもなく,Nのスタイルで,この男がフェアウェイに向かう姿を見守りたい。 |
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