 | | 日本アマ3勝を挙げ81年にプロ入り。以来、着実に勝利を重ね、AONとともに当時のツアーをおおいに盛り上げた立役者、倉本昌弘。95年からは勝利に見放され、00年には心臓弁膜症の手術を受けるなど苦難のシーズンが続いたが、03年には8年ぶりにツアー30勝目を飾り、ファンを沸かせたことは記憶に新しい。そんな倉本もこの9月で50歳。シニア入りを目前に控えた倉本が、いま改めてゴルフへの思いを語る。 |
ピークを過ぎてからの記録達成 今から5年ほど前、倉本昌弘は強靭だと信じていた己の肉体から、ふいに裏切られた。「あれが転機だったことは間違いない。ただ寝耳に水だったというか……本当にキツネにつままれた気分でした」 彼はゆっくりと言葉を選び、まるでエアポケットに誘い込まれていったような時間を語り始めた。 「2000年5月、マンシングウェアKBS杯でした。プロアマの後、妙に体がだるかった。アレッ、風邪かな? と思って近くの病院へ行ったんです。点滴を打ってもらい、反対の腕で血液検査を受けました」 すると、かなり白血球が多かった。 「どこかに炎症があるのかな、ということで胸部のエックス線撮影をしました」 まず、そこで肺炎が発見され、次いで医師から検査の追加の申し出があった。 「ごくごく軽い気分で受けました。点滴を受けて元気になっていましたし、何の自覚症状もなかったからです」 ところが重症だった。彼の心臓は心不全を起こしていたのである。 「しかも血中酸素濃度が極端に低く、立っていられることすら不思議だと言われ、緊急入院勧告を受けました。このままでは死にますとまで言われたんです」 慌しく東京へもどると、かかりつけの大学病院の診断も仰いだ。そこで深刻さは増した。病名は心臓弁膜症だった。自覚症状はなかったものの、すでに5年は経過しているのではないか……との推測だった。医師は、どうするか? と彼に訊いた。 「薬では治らない病気です。手術をしない選択もありますが、その場合はゴルフはおやめになったほうがいいでしょう」 彼は体力には自信のある男だった。夜は寝なくても、ゴルフ場へ向かう車中で仮眠をとればラウンドできるほどのスタミナを誇っていた……。
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