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伊沢利光 「ジレンマ」
文●塩原義雄
写真●伝 昌夫

2005/09/23

 日本ツアー賞金王、マスターズ4位、W杯ゴルフ優勝…伊沢利光は、絶頂期を迎えていた。日本ツアーの頂点に立ち、世界のメジャータイトルに最も近いところにいる選手と評価もされた。ところが、さらなる上昇を図り、周囲からも期待されたところから、低迷期に突入してしまう。絶頂期の先に待ち構えていたのはトンネルだった。伊沢に、いったい何が起こっていたのであろうか。

体内に変速ギアを備えている選手


世界トップレベルのショットメーカーが嵌ったワナ

 21世紀を迎えた伊沢の足取りは力強く、軽快だった。01年日本ツアーの賞金王、02年には丸山茂樹と組んでのワールドカップで日本チームとして45年ぶりの優勝を果たし、03年のマスターズでは東洋人選手として最高の4位(その後チェ・キョンジュ=韓国=3位)と、順調に世界への道を突き進んでいた。

 日体大を中退してプロテストに一発合格、そのまま渡米して西海岸を中心にミニツアーで腕を磨き、帰国して2年後の日本オープンでツアー初勝利を挙げた。埼玉・霞ヶ関カンツリー倶楽部での日本オープンであった。このときの最終日、最終ホールでの1打は、いまでも語り草になっている。フェアウェイ右サイドからの第2打であった。バンカー越えのピンまで213ヤード。手にしたのは7番アイアンだった。トーナメントリーダーとして、安全を期し、花道にレイアップするのか…。それも、優勝を確定させるには、ひとつの有力な選択ではある。などと、わかったような気にさせられたギャラリー、大会スタッフは、そのあと、とんでもないショットを目にすることになった。なんと、伊沢は、7番アイアンをフルスイング。バンカー越えに高いキャリーボールを放ち、ピン横に止めて見せたのである。

 大袈裟に言えば、それまでの日本の常識を覆すスイングであり、ショットだった。1本のクラブで飛距離を打ち分けるとき、日本のプロのほとんどが振り幅で調節するのを常としていた。伊沢の方法は違っていた。スイングの大きさではなく、体のターンスピードによって、飛距離をコントロールするものだった。体内に5段階あるいはそれ以上の変則ギアを持ち、どのギアを使うかで打ち分けていた。サム・スニード、ベン・ホーガンの時代から米ツアーのトッププロが実践してきた方法であった。現在では、タイガー・ウッズが、この方法を受け継いだ代表選手で、タイガーの場合は無段変速ギアの持ち主と言われ、1ヤード刻みのコントロールをも可能にしている。

 日本オープン最終日、最終ホールの伊沢の1打を、ただフルスウィングと表現するのは適切ではなかった。この場合はフルスピードによるショットだったというべきであろう。アマチュア時代から、そうした素質は認められていた。そこに渡米してのミニツアーでの戦いの経験が加わり、変速ギアの数を増やしていたようだ。



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