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2001年の悪夢
涙の復活優勝だった。 「この4年間は長かったかって? 長いなんてもんじゃないですよ。一時はもう勝てないんじゃないか、それどころか、もうゴルフができなくなるんじゃないかと覚悟までしていたんですから……」 2005年7月3日。この日は、選手生命の崖っぷちにまで追い込まれた細川を、黙々と支えてきてくれた玉枝夫人の誕生日でもあった。4日間通算7アンダーで3人が並んだプレーオフ。今野康晴とD・スメイルを振り切る長いパーパットをねじ込み勝利をつかんだ瞬間、グリーンサイドで見守っていた玉枝夫人と目があったときに、2人は涙をこらえることができなかった。 94年のデビュー以来、翌年KBCオーガスタでの初勝利、96年にはサンコーグランドサマー、アコムインターナショナルと2週連続優勝をマークするなど賞金ランク4位、そして99年には全日空オープン、日本シリーズに勝ってランクは2位にまでアップ。細川にとってプロゴルファーという職業は、易々と階段を駆け昇るようなものだった。
意気揚々と迎えた2000年、細川は5月の日本プロ選手権を終えるとアメリカPGAツアーへ向かった。日本での経験も身につき、確かな手応えもある。果たして3戦目のケンパーでは3日目、最終日とスコアを伸ばし、2ストローク差の2位タイに食い下がるパフォーマンスを見せた。「この次、ここへ来たときはもっとやれる!」また1つステップを上がった細川が、その思いを強くしたのは当然だった。 さらにその翌01年、いつものようにシーズンインした細川は9月最終週のアコムインターナショナルでツアー通算7勝目を飾り、エンジン全開の態勢に入ったかに見えた。原因不明の腹痛に見舞われたのは、翌々週、東京ゴルフ倶楽部で行われていた日本オープンの初日。ハーフターンを終えたときだった。 コース近くの病院へ直行して診察を受けた結果「潰瘍性大腸炎」との診断が下った。国の難病指定を受けた重病だった。日本オープンを棄権、そのまま緊急入院して検査と治療を続けたが、入院前78キロあった体重は68キロに激減した。いったんツアーに復帰したものの、翌02年の開幕戦を前に再発。この難病は、発病から何年間も再発を繰り返すところに特徴がある。 |
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