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2005日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ 勝者・細川和彦の壮絶な再起
全てを奪おうとした病魔との闘い
文●三田村昌鳳
写真●細田榮久

2005/09/30

 まさか自分が勝てるようなゴルフができるとは思わなかった。いやトーナメントで、こうして戦うことができる自分を、半分諦めかけていたこともあった。

 細川和彦は、プロゴルファーとしては致命的とも言える病魔に襲われて、この4年間苦しみぬいていた。何度かプロゴルファーとして再起できないんじゃないか、と諦めかけていた時期もあった。実は「潰瘍性大腸炎」を患っていた。この病気は、国の難病指定を受けているほどの厄介な病気で、腹痛、下痢、下血を伴う下痢、発熱……その繰り返しがずっと続く病気である。がっしりした体格は、見る見るやせ細り、点滴だけの日々が続いたこともあった。プロゴルファーは、体、体力が資本、基礎である。いくら技術があっても、それを駆使できる体がなければなにもならない。だから細川にとっては、すべてを失ったという気持ちになっても不思議ではなかった。日本でも7万人以上の患者がいる。原因は、定かではないがストレスによる起因が多いといわれる。

 その細川が、2001年のアコムインターナショナルでツアー7勝目を挙げて以来、3年9カ月ぶりに優勝した。7月に開催された公式戦の日本ゴルフツアー選手権である。

プロへと導いたひたむきさ


全てを奪おうとした病魔との闘い  細川和彦は、もともと頑丈な体だった。それに父親・和男さんから厳しく育てられた。中学時代、細川は野球少年だった。その息子にゴルフを手ほどきしたのが父親である。「冬の間は、野球もないし、やってみようかな」という軽い気持ちだったが、父親は「でもやるんなら、中途半端はだめだぞ。とことんやり通すんだ」ということで始めたゴルフだった。

 そして当時、日本で屈指の高校ゴルフ部だった日体荏原高校に入学しゴルフ部に入った。部員が100人以上いて、そこにはジュニア時代にすでに活躍している伊沢利光、丸山茂樹といった選手たちがいた。父親が、当時の名物監督だった山下七郎監督に言ったのは、一言だった。

 「和彦には、頑張りとおすことを教えたいんです」

 そして監督も、その父親の言葉に「うちの学校は、練習場もない。技術を教えてやる指導者もいない。でも、約束を守れない人間、挨拶のできない人間には育てません。そういうときは、お宅のお子さんでも殴ります!」と言い切って、細川の入部が決まったというエピソードがある。

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