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いずれ駅に降りるなら,長く電車に乗っていたい
米ツアーで学んだゲームマネージメント

青木功4

 2005年晩秋。明日、63歳の青木功が29歳の宮里藍と一緒にラウンドするという前夜だった。43歳という年齢差に、少しの戸惑いがあったのかも知れない。青木は、いつになく饒舌に語った。



 あのとき、青木さんにとって確かにターニングポイントだったのですか?。

 青木 「覚えてるよ。下りのスライスラインのような真っ直ぐなような微妙なラインだった。確か1打差で予選落ちしたんだ。その夜、君にそういうことを言ったかも知れない。要するに、それまでは、勝ちに行く、勝てなければ、2位も予選落ちも同じだと思っていたから。当たって砕けろじゃないけど、表現は悪いけれど、丁半博打みたいなゴルフだったのだと思う。これを入れなければ、という動物的感覚があったのだと思う」

 それが最後のパッティングを入れることで、どう変わったのですか?

 青木 「もともと好奇心から海外に行きたいと思っていたわけ。64年にプロになって、69年アジアサーキットに行ったけど、あんまり興味はなかった。でも確か台湾からの帰りの飛行機だったかなぁ、九州が見えてきて日本って小さいなと思ったわけ。それでアメリカやほかの国はどうなんだろうと思いながら、海外志向じゃなく、コースはどうなんだろうという好奇心が湧いてきたのが最初だったと思う。それで75年ぐらいからよく海外に行くようになった。あの当時は、招待を受ける以外は出場できなかった。でも、だんだん慣れ始めると、ゴルフは没頭してやっているんだけれど、何かが違うと感じるようになったんだ。だから何かのきっかけをつかみたかったのだと思う。こっちでやっていくには、こういうパットを入れることが必要なんだと思ったのだと思う」

青木功5

 すると海外に行き始めてからゴルフが大きく変わったということですか?

 青木 「スウィングとかショットそのものは変わらないよ。ただゲームマネージメントがうまくなったのだと思う。いろんな引き出しがなければスコアにならないから。いつも言うけど、ゴルフはミスのゲーム。そのミスをうまくつなぎ合わせていくには、ある程度その日の調子によって、どういうミスが出るかを想定しないと。するとひとつ狙うにしても、ミスしても右のあそこに落ちるとか、そういう計算をしながらゲームをしていける。攻める、攻めないという判断力も必要になる」

 棒だけ振っていればいいということではプロゴルファーじゃないと思えたのは?

 青木 「よく勝負師という言葉を使うけれど、その勝ち負けだけではなく、生き方や人間の持っている精神でしょう。人との係わり合いや、周囲の協力によって、何かが成し遂げられる。すると、自分はもともとプラス思考だから、やればできる、できないはずはない、やればなんとかなる。砕けるのがいやだから、これでもかと、やるという姿勢をもっと持って、ゴルフゲームに反映させたいという気持ちが湧いてきたんだと思う。だから転機だといえば、確かに転機だった」

 きっと博打的な勝負師から、アスリートとしての闘争心、競争心に変化したんでしょうね。

 青木 「好奇心プラス、闘争心、そして競争心が、いまの私を築いているのだと思う」

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