|
|||||||||||
|
リンクスコースの妙味
マクリー・ゴルフリンクスもまた、由緒あるクラブだった。改めてクラブ案内に目を通すと、全長6324ヤード、パー71のコースは意外な歴史を持っていた。
造られたのは1891年。同じ西海岸にあり、リンクスコースとして名高いロイヤル・トルーンが1878年、ターンベリーが1903年だから、それと前後して作られたわけだ。港にあったアイラ・ホテルが賑わっていた頃のことになる。 設計者はマッセルバラ生まれのプロゴルファー、ウィリー・キャンベル。スコットランドでいくつかのコースを手がけたあと、90年代にアメリカに移住し、ボストンの『ザ・カントリークラブ』の設計にも携わったという人物だ。 オニールさんによれば、下見をした設計者のキャンベルは、グリーンさえ作れば完成すると語ったそうだ。ピート地層の上には芝が生えないから、砂地に変わる海岸線にレイアウトされた正真正銘のリンクスコースである。コースの先には島で最も長い全長12キロのビッグストランド・ビーチが広がり、19世紀に作られたリンクスコースの特色が如何なく展開されている。
1901年6月、史上初の賞金大会が開かれたという事実も当時のクラブの名声を物語っているだろう。プロを交えたオープン大会はそれ以前にも行われていたが、優勝100ポンド、準優勝40ポンドという高額賞金は、当時としては破格で、サロンにはその試合の模様を報じたロンドン・タイムズの記事が額装されていた。 コースを回れば、アイラ島の平和なイメージが一変する。その日は、ゴルファーを苦しめる海風はそれほど強くなかったが、1番からブラインドの連続という、手強いホールが続く。丘の上に立つ目印の杭も、ちょっと曲がれば役には立たず、水没したボールでクリークの色水を再確認することに……。 フェアウェイは狭く、そのフェアウェイも洗濯板のように波打っている。全英オープンで見る如き、膝が埋まるほどのラフ、蛸壷バンカー……。いったいいくつボールをなくしたことか。 案内役としてプレーにお付き合いいただいたオニールさんは、みなさんがなくしたボールを拾うから、ボールを買ったことがないと笑った。 「マクリーが特に難しいコースだとは思いません。ただ、風とブラインドの妙味が飽きさせないし、それがリピーターの多い理由でしょう。メキシコ湾流の影響で、年間を通じてプレーを楽しむことができますから、季節ごとの変化も楽しめます。それに、なんといったって静かです」 9番ホールの正面に二つの山が見えた。ゴルフ場はむしろアイラ島の南に位置しているが、その山は島の北にあるジュラ島の山だという。
アイラ島には、ネットカフェもスポーツバーもなく、お土産屋も高級レストランもなかった。蒸留所は労働力がいらないから若者は少なく、幹線道路A846を離れれば、パッシング・プレイスという車がすれ違うスペースに棒切れが立っている。 ピートが風に吹かれ、薄茶色の清流を鱒の子が走る。 何もない。クラブのバーでアイラモルトを舐めながら、この何もない島にすべてがあるような気がした。恐らくそれが、スコットランドという原点なのである。 |
|
||||||||||