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「中部銀次郎 ライフインパクト」自伝(全46回シリーズ)
第7回 恥ずかしがり屋でデパート通い(1)
文●三田村 昌鳳

2005/12/16

 話がちょっと飛ぶが、私は大変恥ずかしがり屋だった。とにかく人前に出るのが恥ずかしかった。それは、年が経つにつれてその度合いを強くした。

 だから、1番ティ・グラウンドでティ・ショットをするとき、誰かが見ていると思っただけで、もうメロメロになってしまうのである。人と会って、その人に挨拶されても即座に返答できない。その前に顔が、まっ赤になってしまうのだ。

 そんな具合だから、コースに出ても大変である。尚更、トーナメントなどに出るとなると関係者やギャラリーがいるわけだから、推して知るべしである。

 だから、ゴルフは「うまくなりたい」と思ってはいたものの、心の中では、大試合で勝ちたいという願望はあっても、現実的に自分の性格が、ゴルフ・プレーヤー(コンペティター)としては全く不向きだったのである。

 私の持病の胃ケイレンの治療というのが直接のきっかけで始めたゴルフ。それにこんなにまで情熱を傾けるとは、思ってもいなかった。ただ、小学生の幼い考えとして、この一種の“遊び”或いは“パズル”が、簡単に制しやすい、つまりすぐに先が見えてしまうようなシロモノではなく、いくつもの壁にすぐぶつかり、なかなか砕けないもの、解けにくいものであるから、余計に奮い立ったのだった。最初は、その気持ちだけである。

 まずは無我夢中の3年間が過ぎて、私のハンディキャップも20まで来た。そして中学校1年生のときに、12、11になった。その1年後には、ようやくシングルの仲間入りができた。私がもらったのは“8”だった。この間、私は技術だけでなく、それに付帯するあらゆるものをドン欲になって追い求めた。それを自分なりに実行したつもりである。

 これは、高校1年生のときの話であるが、例の赤面恐怖症というか、その恥ずかしがり屋を治さなくては試合に出場しても絶対にいい成績は残せないと思っていた。それは、そうである。では、どうしたら治せるのだろうか。私は、真剣に考えた。これはゴルフの技術以外のことである。しかし、絶対に、なんとかしなくてはいけないものだ。

 私は、あるデパートに通った。デパートには、人がたくさんいる。女性の店員も多い。ここだ、と思った。意を決して案内嬢の前に立った。いや実際には、その前をまず通ったのである。案の定、私の胸の鼓動は高鳴り始めて、顔は火のついたようにまっ赤になっていたのである。

 そして、またその前を通った。

 おそらく、私をじっと見ていた人がいたら、おかしくて仕方がないと思ったに違いない。でも、私は大真面目だった。これが“パス”すれば、おそらくスコアもかなり違って来るだろうし、敵からくるプレッシャーも多少減るだろう。そう堅く信じていたのだから……。

 何日間かデパート通いが続いた。相手は、イヤな気持ちだったに違いない。私は、当時まだ16歳ほどだったし、ちょっと頭がヘンだとも思っただろうか。その気配はなかったが、その度に、相手をかえることにしていた。そのうちにドキドキが少なくなった。赤面も、である。

セカンドステージ