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技術を教えるレッスン・コーチとしての父・利三郎は、決して有能な先生とは言えなかった。しかし、父から教わったものは、もの凄く多かった。それは、ゴルフ・プレー以前のものからである。極端に言えば、ゴルフを通して以外父から教わったものはほとんどなかったかも知れない。 何を教わったか。教わったというより自然に肌に伝わって来たと言ったほうが本当だろう。そして、随分叱られた。 それは“ゴルフィング”ということである。私は、その言葉が実に好きだが、ただ「強ければいい」という結果論的なことだけを専念してゴルフはするな、ということであった。ルール、マナー、態度をすべてふまえた上でのものではなくてはいけないということなのだが、ともするとそれが論語読みの……になってしまいがちなのである。もっと違って、その人のプレー態度、いや、たったひとつのショットを見ただけで、あふれ出て来なくてはいけないそれなのである。 ![]() 現在、私は大変悲しく寂しい場面によくぶつかる。私がそう思うのは親父のためでもあり、少なくともその当時の環境が良し悪しに全く関係なく、そうつくられていたもので、その中で私が育って来たから余計そう思うのかも知れない。それは大変厳しいものだった。 ティ・グラウンドの横に腰を下ろした。胸のボタンをひとつ外した。ズボンの折りめが入っていない。ルールに無頓着。全体のマナーが良くない。——これらすべて「もうゴルフをする資格がない」ものとされるのだった。父は、非常に厳しく私にしつけた。ちょっとでもルーズになると父は徹底的に私を叱った。 それがゴルフだった。その中で上手になること。当り前のことだと思っていたので私の抵抗はなかった。ルールではなおさらその厳しさは増した。 ……らしき行為というのは、すべて見逃がされることはなかったし、らしき行為をすること自体、許されないものだった。ルールはあくまでも救済のためである。例えば、ラフに入ったボールを打つ場合いまはどうだろう。2回ほど素振りをして、アドレスに入って打つ。当然だ。だがその素振りのしかたが問題だ。いまなら、何の疑いもなくその飛球方向、それもボールの近くで素振りする。が、当時それをしたら「あれ、いまの空振り?」それで終わりである。1ストロークだ。「いや、素振りです」という返答は出来なかった。……らしき行為なのだ。 空振りだけならいい、ともするとライの改善が加わってペナルティになる。相手の言い分(もっともそんな説明はしないが)は、こうなのだ。 ボールがラフに入っている。同伴競技者からそのボールが見えない。が、そこで“らしき行為”をしたら、アピールできる。そして相手は認めざるをえない。それがいやだったら“らしき行為”はいっさいするな。ということだ。だから、素振りにしても全く関係のない場所で違った方向を向いてする。 アマチュアは、うまいへた、は次のものだと思う。まず本当の自分が何であるのか、ルールがあれば、その守るべきものを守って、その中で名誉を勝ちとる。これがアマチュアではないだろうか。 |
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