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親父のゴルフは、さほどうまいものではなかった。よく、戸田藤一郎プロにその頃教わっていたらしいが、私はその親父のゴルフを“見て”覚えた。 それが間違いだった。何故なら、親父が戸田プロから教えられたことを、曲解して受けとめていたか、或いは、親父の伝達方法が違っていたのである。当時、戸田プロから教わったことは「前にあげてぐっと引け」だった。言わゆるアウトサイド・インである。しかし、小学生の私には、あわなかったし、理にかなった方法でもなかったのである。その言葉を忠実に守って、トップ・オブ・スウィングでは、グリップが頭より完全に前に出ていた。そこから引いてくるのだから、スライスが出てあたり前である。 このスウィングが、スライスしか出ない私のゴルフの2つ目の原因だった。 ![]() スタンスをクローズにしても無駄だった。グリップは、どうだろう。残念ながら、グリップが云々されたのは、もっと後のことだった。何故なら、その頃まで正確には、ベン・ホーガンの『近代ゴルフ』が出てくるまで、誰もがグリップに神経が集中していなかったのである。だからグリップに対する“講義”を私にしてくれる人は、誰一人といなかったのである。スライス——クローズド・スタンスにする。そんなことだけしかなく、そう観念づけられていた時代である。だから細かく“ここが悪い”などとチェックすることもなく、されることもなかったのだった。 また親父も実際には、スウィングなどゴルフに関して、はっきりと口で教えてくれたことは全くなかった。親父が私に教えてくれたのは、もっとほかのことだった。あとで書くが、親父から教わったのは“ゴルフィング”だった。でも、私は、親父が技術についてたくさん私に講義をするよりも、はるかに有益なものを学んだと思っている。それは現在まで、私の中にあるゴルフ論を確立させる第一歩のものであったし、そのほとんどが親父から教わったものであったのである。だから、もともと教え上手ではなかったのが、反面私には幸したのかも知れない。 ハーフを45、46ぐらいで回れたが、それを切るのに、まだ時間を要したのは、この大きなふたつの原因からだろう。私は、本を読み漁り、その中にある連続スウィングの写真を見ては、一生懸命に学んだ。まず、自分の頭にイメージ・アップさせて、なおかつ自分に合っているプロのスウィングを捜し、真似てもみた。 八方ふさがりになってしまったハンディ20時代。私に光明があったとすれば、「うまくなりたい」というひと一倍強い意欲だけだったかも知れない。それだけを頼りに、毎週末がやって来るのを楽しみにしていたのだった。もし、親父の伝達方法がもっと正しければ、或いは、もっと私のまわりにうまいコーチがいたら……でもそれは、どうなったかわからない。それでも何かを悩みながらの毎日だったろう。その後、ベン・ホーガンの『近代ゴルフ』が出て来て、グリップを私は直した。高校時代である。だが、グリップを直すだけでなんと2年間もかかったのである。 |
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