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週に、2、3回。つまり1日置きか2日置きぐらいに、必ずといっていいほど胃ケイレンのように激しい痛みに悩まされていたのである。毎週、無差別な時間に医者を呼ぶことが多々あった。母親が心配して医者に相談した。
「少し歩けばいいかも知れない」
と言われたそうである。
これが、私がゴルフを始めたきっかけである。
親父・利三郎は、当時50歳ぐらいだったろうか。体格も今の私とほぼ変わらない。ただ、まっ黒に日焼けして、いかにも海の男を思わせるものはあった。親父とは普段は、ほとんど話さなかった。深い話といえば、私が成人して親父が他界する少し前に“あること”で言い合った想い出だけが深く残っている。それについては、そのうちに触れたいと思う。
で、歩けばいいだろう——と医者に言われて、ある日。
「銀。一緒について来ないか」
と親父が声をかけてくれたのである。見ると親父はゴルフバッグをかついでいた。私は運動靴をはいて、言われるままにあとを追ったのである。
車で桟橋まで行ってフェリーに乗りかえる。フェリーは門司に着いた。何処へ行くのかと思うと、そこはゴルフ場だった。そのとき、はじめて見たのである。親父が、ティ・ショットを打ち終わると、そのドライバーをキャディに渡さず私に渡した。私は、その1本のドライバーを杖がわりに持ってコースを歩いていたのだった。
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