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納屋から母屋へ渡る幅広い廊下は、ちょうど今で言うサン・ルームのようにガラス張りの屋根でできていた。
小学校3年の頃だったろうか、私はよく屋根に登っては、どうにかしてこのガラスの上を歩いて向こうの母屋まで渡れないものだろうかと思案していたのである。ガラス1枚が1メートル幅ぐらいのものだったと気憶している。その上を、忍者のように渡り歩いたら。そんなバカげたことを子供心に真剣に考えたのである。ある日、一大決心をして“よし渡ってみよう”と思って実行したのである。第一歩をガラスにさし出して、その足に体重をかける。果たしてガラスは、こなごなに砕けて高いガラス屋根から、廊下にアッという間に落ちてしまったのであった。
ガキ大将ではなかったが、かなりわんぱくであったことは確かである。野球が好きで、いつも野球をしているか、例の屋根に登ったりして遊んでいた。
たいてい独りだった。
家は、山口県下関市上田中町にあった。この辺は、ちょっとした丘陵地になる。名池山と呼ばれていた。そこの家は、かなり大きかった。3年生まで大江小学校に通っていた。ほとんど生徒はイガグリ頭で、私もイガグリ坊主だった。家に帰ると野球をするほかは、余り友達づきあいは活発なほうでない。というのも、突飛なことをして家人に叱られるほかは、持病が気になって何もできなかったのである。
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