|
“日本一になることだ”
後遺症とは別に、そんな気持が新たに私の胸に湧いてきたのであった。
私には、やらなければならないことがまだまだ数限りなくあった。その春、下関西高を卒業して、慶応大学を受験したが、それに失敗した。浪人生活を送っていた。来年のための受験勉強のために当分のあいだ、クラブをエンピツにもちかえなければならなかったし、ゴルフひとつにしても、まだ満足なんて言えるしろものでもなかった。ハンディキャップ1ではあったものの1からゼロにして、早くスクラッチ・プレーヤーにもなりたかった。これは、数字的に1からゼロにするほど簡単なものではなかった。その1からゼロのあいだには、底知れぬものがあった。
これまでの18年間。少なくともクラブを始めて握った小学校4年生からのゴルフの道のり。この1960年、第2回世界アマチュア選手権に参加して、ボビー・ジョーンズ、ジャック・ニクラス、そしてコースやアメリカという国、そんな“大海”を見たことによって、ひとつの大きなターニング・ポイントとなって、またゴルフに対する執拗なまでの執念も湧いて来たのだった。
ゴルフという限りなく広大なスケールのスポーツ、このスポーツに一生私が取り組むようになったそもそものきっかけは、私が小学校4年生の頃、とても病弱で週に1、2回胃ケイレンのように鋭い痛みを覚えたのがきっかけであったのだった――。
|