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第1回身の丈に合ったゴルフをせよ
穏やかな心で、心の丈を尽くす

ところで、今回のテーマは「身の丈に合ったゴルフをせよ」である。「身の丈」は身長のことだから、文字通り解釈すれば人それぞれに、身長に合ったゴルフをせよ、ということになるけれど、この言葉の意図するところはもちろん、そういうことではない。

 そこでしばらく思いを巡らせた。千回に及ぶ中部との酒席で「身の丈に合ったゴルフ」を話題にしたことがあったろうか。あったようにも思うし、なかったようにも思う。「身の丈」を身長と解釈すれば、ない。しかし、形而上の比喩としてなら、彼の語録のすべてはこの言葉によって集約できるように思えてくる。身長はいわば「形」である。色即是空でいうところの「色」である。

 「ゴルファーが百人いたら百通りのフォームになるし、したがってセオリーも百通りになるから、万人に共通するスイング論はあってないようなものだ」

 中部はよくそう言った。つまり「身の丈」に合ったゴルフをするためには、その人なりのフォームなりスイング論を構築せざるを得ないことを「身の丈」という言葉を使わずに言いつづけていたように思う。

 そして、フォームを乱したり、ミスショットをしたりするのは、肉体運動すなわち形而下の運動を、精神運動すなわち形而上の心の作用が冒したり、阻害したりするためだ、ということを繰り返し言っていたのである。

 言い換えれば、ゴルフは「身の丈」によって競うゲームではなく「心の丈」で競うゲームである、と豊富な実戦経験に則して看破していたのだ。「形あるもの」は「形のないもの」によって、良くも悪くもなる、と。

 「鰯の頭も信心から、というじゃないか」

 中部がそう言うと、悩める球友は、

 「どうしても、そこへ行くのか」

 「どんなフォームでも、自分で信じるものがあれば良いゴルフができるようになれるし、どんなに素晴らしいフォームでも信じるものがなければ上手になれないと思うよ」

 「魔よけに、バッグの中に鰯の頭でも入れておくしかないか」

 「そうしてみな。けっこうごりやくがあるかもしれないぞ」

 ゴルフに限らず、精神力の伴わないゲームはないであろうが、しからば「精神力とは何ぞや」と改めて問うてみると、とても即答はしかねる。

 目に見えないものだから、具体像がうかばないのだ。それこそ、色即是空。形あるものは即ちこれ空であり、空即是色だから形のないものは即ちこれ色であるのか。やっぱり禅問答みたいになってしまうけれど、中部はその点、もっと具体的に処していたように思う。

 「どんな場面に遭遇しても、慌てず、騒がず、興奮せず、あるがままの現実を素直に受け容れ、穏やかな心でプレーするように心掛ければ、自ずと自分の実力がプレーに反映されるものです」と言っていた。

 「身の丈に合ったゴルフをせよ」ということは、そのことにほかならないものと思われる。「心の丈」を尽くすことが、そのようなゴルフへ導いてくれるのではあるまいか。

 ああ、南無阿弥陀仏ナムアミダブツ。


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