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長浜家は、徳川時代には御典医という代々医者の家系。その流れで祖父も父も医者。私が大学受験の時、とりわけ祖父が医学部に行くことを強く望んでいました。私学の医学部と母校の東京大学経済学部の両方に受かった時、実業の道に進みたい私の意を汲んで、父が祖父を説得した材料が、母校のゴルフ部。母校を”学生運動の巣窟“と決めつける祖父に対して、「スポーツ(ゴルフ)に専念すれば、力雄は真直ぐ伸びる」と言ったものです。 ゴルフは紳士のスポーツ
私が大学1年の頃、昭和38年のことですが、その頃、母校は検見川(千葉県)に18ホールのゴルフ場を所有していました。体育会のゴルフ部に所属した私は、駒場の教養学部で授業を終えると、本郷の農学部の裏にある鳥かごのような練習場で必死に球を打ち、週末には検見川で実践ラウンドに明け暮れました。ゴルフ部の顧問は当時ジェントルマンの鑑といってよい近衛先生。顧問が紳士ならば、部の先輩たちも至って紳士的。体育会にありがちなシゴキなどもなく、ゴルフは洗練された紳士のスポーツと思ったものです。 大叩きが幸運を呼ぶ
社会人になってゴルフは大いに役立ちました。昭和40年代前半では、アマチュアゴルファーなど数えるほど。ゴルフが出来る新入社員はレッスンの先生、コンペの幹事と重宝がられました。 忘れられないのは、第一生命の姫路支社長として赴任した時のことです。その直前にベストスコア79を出していた私は、当時の姫路商工会議所会頭の斎木さんに挨拶した時、「ゴルフが趣味。直近のスコアはかくかくしかじか」と言ってしまったのです。すると斎木さんは、それなら名門・廣野に行こう、ということになり、そこでのスコアが何と128。完敗でした。 その噂が1週間後には姫路の財界に伝わり、”関西が関東者を負かせた“という溜飲の下がることもあり、どこへ行っても「あの長浜さん」と歓迎され、結局は仕事の成果を生むきっかけとなりました。 親しいゴルフ仲間は、森田富治郎さん(第一生命会長)、辻雅夫さん(日本証券投資顧問業協会会長)。エージシュートなど望むべくもありませんが、もう一つの趣味である名画の模写との両立を図り、オンとオフを上手に切り替えて行きたいと思っています。
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