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ゴルフと出逢えてビジネスパーソン
道を拓き、仕事への援軍にもなったゴルフ 長浜力雄 興銀第一ライフ・アセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
文●阪田英也
写真●中西昭

2006/06/28

 長浜家は、徳川時代には御典医という代々医者の家系。その流れで祖父も父も医者。私が大学受験の時、とりわけ祖父が医学部に行くことを強く望んでいました。私学の医学部と母校の東京大学経済学部の両方に受かった時、実業の道に進みたい私の意を汲んで、父が祖父を説得した材料が、母校のゴルフ部。母校を”学生運動の巣窟“と決めつける祖父に対して、「スポーツ(ゴルフ)に専念すれば、力雄は真直ぐ伸びる」と言ったものです。

ゴルフは紳士のスポーツ

 私が大学1年の頃、昭和38年のことですが、その頃、母校は検見川(千葉県)に18ホールのゴルフ場を所有していました。体育会のゴルフ部に所属した私は、駒場の教養学部で授業を終えると、本郷の農学部の裏にある鳥かごのような練習場で必死に球を打ち、週末には検見川で実践ラウンドに明け暮れました。ゴルフ部の顧問は当時ジェントルマンの鑑といってよい近衛先生。顧問が紳士ならば、部の先輩たちも至って紳士的。体育会にありがちなシゴキなどもなく、ゴルフは洗練された紳士のスポーツと思ったものです。

大叩きが幸運を呼ぶ
もう一つの趣味である「名画模写」。
自作のフェルメール作品と長浜氏。

 社会人になってゴルフは大いに役立ちました。昭和40年代前半では、アマチュアゴルファーなど数えるほど。ゴルフが出来る新入社員はレッスンの先生、コンペの幹事と重宝がられました。

 忘れられないのは、第一生命の姫路支社長として赴任した時のことです。その直前にベストスコア79を出していた私は、当時の姫路商工会議所会頭の斎木さんに挨拶した時、「ゴルフが趣味。直近のスコアはかくかくしかじか」と言ってしまったのです。すると斎木さんは、それなら名門・廣野に行こう、ということになり、そこでのスコアが何と128。完敗でした。

 その噂が1週間後には姫路の財界に伝わり、”関西が関東者を負かせた“という溜飲の下がることもあり、どこへ行っても「あの長浜さん」と歓迎され、結局は仕事の成果を生むきっかけとなりました。

 親しいゴルフ仲間は、森田富治郎さん(第一生命会長)、辻雅夫さん(日本証券投資顧問業協会会長)。エージシュートなど望むべくもありませんが、もう一つの趣味である名画の模写との両立を図り、オンとオフを上手に切り替えて行きたいと思っています。

ながはま りきお●1943年静岡県生まれ。
東京大学経済学部卒業。1967年第一生命保険相互会社入社。89年同社姫路支社長。94年取締役、97年常務取締役、01年専務取締役。03年代表取締役専務。04年興銀第一ライフ・アセットマネジメント代表取締役社長。年間ラウンド=30回。HC=17。得意クラブ=アプローチ、ピッチング・ウエッジ。使用クラブ=マックテック(ウッド、アイアン)。メンバーコース=読売カントリークラブ。ベストスコア=79。
セカンドステージ