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ゴルフと出逢えてビジネスパーソン
努力すれば、何事も成せる 小林陽太郎 富士ゼロックス株式会社 代表取締役会長
文●阪田英也
写真●中西昭

2006/04/05

 1899年生まれの父は岩井商店(後の日商岩井、現双日)のロンドン駐在員でした。彼の地はゴルフ発祥の地。友人や取引先との付き合いもゴルフ。その環境から父のゴルフ好きがスタートしたようです。私は生後8ヶ月で日本に戻って来て、物心ついた時には、ゴルフが当たり前のスポーツとして身近にあったように思います。当時はまだ戦前ですから、ゴルフ場の数も少ない。確か我孫子と駒沢にあった東京GCだったと記憶していますが、およそ週に一度はそのどちらかに足を運ぶ。今から考えると、父はサラリーマン・ゴルファーのいわば草分けですね。そして、なぜか小学校に上がる前、私を何度となくゴルフ場に連れて行ってくれました。ゴルフ場に行っての楽しみは、食堂のメニュー。当時では珍しい洋食やデザートを食べさせてもらい、周囲の喧騒とはかけ離れた風景の綺麗さと共に、特別な場所との印象を持ったものです。

野球からテニス、そしてゴルフへ

 しかし、ゴルフを本格的に始めたのは社会人になってからです。

 小学校、中学校時代熱中していたのは野球。高校、大学時代はテニスでした。帰国して大森に住んでいた小学生時代、隣家に旧制浦和高校に通っている”お兄ちゃん“がいて、彼にキャッチボールから野球のいろはを教えてもらいました。そして中学時代。家が学芸大付近に移ると、近所の靴屋、自動車修理屋の同年代の子どもと一緒になって町の野球団を作って草野球に明け暮れました。

 その頃、父の趣味はゴルフと、母に付き合ってのテニス。母の影響があったのか、高校時代は徐々にテニスにのめり込んで行きました。「野球は9人揃わないと出来ないけど、テニスは2人から出来るのよ」という母の言葉。さらに「ゴルフは1人のスポーツ」。考えてみると、野球とテニスで球感を養い、ゴルフに挑戦という歴史があったようです。

「Play Fast」とマネージメント

 父は早い時期から、いつかは子どもたちとゴルフをと考えていたようで、大学の3、4年、そして社会人成り立ての頃、私と弟を連れて、川奈や相模でよくプレーしました。振り返ると父は物静かな人でしたが、プレーは”早打ちマック“といってもいいほど、進行が早い。きっと軽井沢辺りで白洲次郎さんから学んだ「Play Fast」の精神を踏襲していたのですね。逡巡していると「早よせい」と叱られたものです。ゴルフの手ほどきもそうですが、父から学んだのは「努力すれば何事も成せる」。これは今でも私の胸に息づいています。

 親しくさせていただいているゴルフ仲間は、飯田亮さん(セコム最高顧問)、松岡功さん(東宝会長)。このおふたりとは、保土ヶ谷CCやスリーハンドレッドクラブで。また宮内義彦さん(オリックスCEO)、出井伸之さん(前ソニーCEO)とは軽井沢GCでご一緒しています。なお近年、家内が好敵手にせり上ってきました。

 年を重ねると、出来なくなることもある。しかし、マネージメントをしっかりやることで、解決出来ることもある。これが、私がゴルフから学んだ精神です。

こばやし ようたろう●1933年ロンドン生まれ。
慶應義塾大学経済学部卒業。1958年富士写真フイルム入社。63年富士ゼロックスに転じ、68年取締役、72年常務、76年副社長、78年社長を経て、92年から代表取締役会長。年間ラウンド=60~70回。HC 8。得意クラブ=パター、アプローチウェッジ。使用クラブ=キャロウエイ(ウッド、アイアン)。メンバーコース=東京GC、保土ヶ谷CC、相模CC、軽井沢GC。ベストスコア=70。
セカンドステージ