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潮流を生み出した先駆者達
世界中のゴルファーの記憶に残る革新的メタルウッド
2005/06/17
キャロウェイ・ビッグバーサ 〈キャロウェイゴルフ〉

 異端児と呼ばれたものでも、その先進性がその後の道を切り開いていったものはどの分野にも必ずある。

 キャロウェイゴルフのビッグバーサもまさに、その後の潮流を生み出したドライバーといえるだろう。

キャロウェイ・ビッグバーサ



 今や、世界のゴルフシーンにおけるリーディングカンパニーとなったキャロウェイゴルフであるが、そのスタートは今から23年前に遡る。

 創設者のイリー・R・キャロウェイは、アメリカでも有数の繊維会社ミルケン&カンパニー・テキストロン。そして、バーリントン・インダストリー社において革新的な繊維製品の分野を開拓。48歳の時にはバーリントン社の社長となり、世界一の繊維会社を確立していった。

 1973年にバーリントン社を退職すると同年、永年の夢であったワイナリーの経営に着手。キャロウェイ・ビンヤード&ワイナリー社を創設し、優秀な人材を集めて、右肩上がりの業績をここでも残していく。

 さらに、女性だけのセールスチーム"Callaway Girls"を発足させるなど斬新な発想で、このワインビジネスを成功に導いていった。

 そして、1982年にこのワイナリーを売却。カリフォルニア州・パームスプリングの地へ移り、ゴルフクラブ事業へと目を向けていったのだ。

 その地で、スチールパイプの入ったヒッコリーシャフトの権利を持ち、ウェッジとパターを制作していた会社を買収。そして、キャロウェイゴルフの前身となる「Callaway Hickory Stick USA」社を設立。ゴルフビジネスの分野で、強固な地盤を築いていくため、イリー・R・キャロウェイが掲げた哲学が"Demonstrably Superior & Pleasingly Different"(明らかに優れていて、その違いを楽しむことができるもの・・・)というものであり、全てのもの作り、サービス、人材にいたるまで、そのモットーを掲げていったのである。

 だが、最大の特徴であったスチール入りのヒッコリーシャフトは、制作に手間がかかるうえ、値段も高く、贈答品として買われることが多く、実用品としては決して人気のあったクラブとはいえなかった。

 だが、その流れを打破し、現在の礎ともいえる革新的なクラブ開発のもと、大きく生まれ変わったのが1988年。会社名もこの年からキャロウェイゴルフへと変更。そして、現在もキャロウェイゴルフのクラブの基盤ともなっている「S2H2理論(Short Straight Hollow Hosel:短く、まっすぐに、貫通した、ホーゼル)」を搭載した「S2H2アイアン」を誕生させたのだ。

 翌年にはウッドも発売され、当時としては革新的なテクノロジーを搭載したスルーボアモデルのラインナップが完成したのである。

 そして、90年代に入ると製造技術の進歩と素材の発展により、各社がこぞってメタルウッドのバリエーションを増やしていく中、ヘッドの大きさにも変化が見られるようになってきた。

 オーバーサイズのメタルウッドが競作されていく中、91年にキャロウェイゴルフが発表したモデルこそ、その後の歴史に名を残す大ヒット商品『Big Bertha(ビッグバーサ)』なのだ。

 当時の主流は、まだ素材がステンレスであり、比重の重さや強度の面から175㎤程度(モデルによる違いはあるが、現在のバフィ程度の大きさとほぼ同じ)の大きさが大勢を占める中で、このビッグバーサは191㎤(現在のスプーンと同等)と圧倒的な数値を実現しており、その大きさは発売当時、賛否両論を呼び起こした。

 というのも、この頃のゴルファーは、パーシモンを使用してきたゴルファーが多く、保守的な感覚からメタルヘッドで、しかも見たことのない大きさのクラブに難色を示す人も少なくはなかった。

 しかし、その機能性の高さが口コミで広がると、まさに食わず嫌いだったゴルファーが一気に飛びつき、爆発的なヒットを呼び起こしていったのだ。

 ヘッドの大型化によるメリットは、慣性モーメントの拡大によるスイートエリアの拡大が最も大きく、打点がバラつくアマチュアゴルファーにとって、多少のミスはクラブが補い、曲がりやエネルギーロスを抑えてくれることは、やさしく扱えるクラブとして大きな衝撃をもたらしていったのである。

 その結果、今までよりも確実に、より遠くへ、よりまっすぐに飛ばせるドライバーとして世界的な大ヒットに繋がっていったのだ。

 キャロウェイゴルフが名実ともにゴルフクラブメーカーとして飛躍したのは、まさに『Big Bertha』によるものであり、"大きなバーティ( Berthaはアメリカでの女子名であり、Bertieも同意)"は、世界のゴルフクラブの道標として、多くのゴルファーの記憶に残り続けていくはずだ。

セカンドステージ