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ゆったりとした時間 雲仙名物のひとつに、天然記念物に指定されているミヤマキリシマの群生がある。春になればいまもその華やかな花絵巻が8番ホールを縁取り、プレーヤーの目を大いに楽しませてくれるが、その群生の入り口に俳人・高浜虚子の句碑が立つ。 『ゴルフ場に下り立てばつゝじ叢高く』
ゴルフはしなかったが野球好きで知られる正岡子規の一番弟子は、芭蕉とはまた違うムードに乗って日本全国を旅し、世に名だたる雲仙めぐりにもやってきたのだ。 雲仙ゴルフ場も含めもともとの発想は外国人を中心とした観光地、リゾート地の普及にあったことは間違いないが、交通や通信の発展に伴い、こうした先進リゾート地は日本国民の憧れの的にもなっていった。昭和初期の新聞アンケートでは、雲仙は晴れて「行ってみたい観光地」の1位にランクされている。 そしてそれまでの県立公園から昭和9年に日本で初の国立公園に指定されると、その翌年には雲仙観光ホテルが誕生する。先に引用した『雲仙大観』の編纂者である橋本喜造が、当時、外国人向けのホテル建設を奨励するための国の補助を得て、アルプスの山小屋を思わせるスイス・シャレー様式のホテルを創業したのである。 「創業当時は夏の間、長期で滞在される外国人のお客さまでいっぱいだったという話を聞いております。毎年お越しになられる方も多く、外国語を話せる担当のメイドも決まっていたそうです」
ホテルもゴルフ場と同じように、いまも昔の姿のままだ。西洋風の避暑地を意識したのであろう、正面を北側に向けて設計されており、温泉はあるが温泉旅館の眩しさはない。 落ち着きと静寂の空間はイギリス人が求めた大人の時間を縁取り、それこそが若い日本が目指したリゾートの原画なのだ。 「新婚旅行ブームもありました。フルムーンというのもございました。いまは、昔のままのホテルをお求めになっておいでになるお客さまが多ございます。何も変えない、むしろ昔に戻す、それが私たちの役割かと心得ております」 変わらないことに意義と誇りを見るのは、そこに歴史があるからだ。そしてその歴史は、どんなに建築技術が進もうと、科学が進歩しようと、決して再現することはできない。その空間に身を置くだけで安らぎを感じられるのは、その時間の重さゆえだろう。 雲仙にはニッカボッカー姿でのんびりとプレーを楽しむゴルファーや、庭を散策する外国人親子が現れても何の違和感もない、ゆったりとした時間が流れていた。 この回で、「雲仙ゴルフ場~歴史を旅する」の連載は終了いたします。 次回は、10/7(金)より「日本最古のリンクスコースとノスタルジック旅紀行:小 樽を旅する」の連載が始まります。ご期待下さい。 前号以前の記事 封印された楽園 国際化への布石 歴史のしがらみ |
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