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【源流】日本最古のパブリックコース
雲仙ゴルフ場歴史を旅する
文●武田 薫
写真●北川 外志廣

2005/09/21
歴史のしがらみ


雲仙ゴルフ場歴史を旅する
雲仙観光ホテル
長崎県南高来郡小浜町雲仙320番地
Tel.0957-73-3263
スタンダードツイン、デラックスツイン、スイートルーム、和室など、全59室。
本格的フランス料理や和食も味わえるダイニングのほか、バー、ラウンジも完備。
 ジャパン・ツーリスト・ビューロー、現在のJTB(日本交通公社)の大元になる組織が設立されたのは明治40年である。国際親善と経済振興の立場からの外客誘致を旗印とし、創立総会には、帝国ホテルの林愛作、日光金谷ホテルの金谷真一、箱根富士屋ホテルの山口正造、堅吉も名を連ねている。JTBが編纂した『回顧録』によれば、大正7年に日本を訪れた外国人旅行客は2万9640人、洋式ホテルは全国に54軒あったという。外国人が宿泊するホテルはまだまだ少なかったようだ。観光客を呼んで外資を調達したい……その戦略の拠点となったのが箱根であり日光であり、雲仙であった。リゾートの発想である。

 雲仙観光ホテルが誕生したのは昭和10年(1921年)だが、その創設者の橋本喜造が編んだ『雲仙大観』にこうある。

 「日没後になると冷気を催し、夜間は夜具を要するほどである。雲仙の夏季は東京の10月初旬の気候と略同一であって、理想的の静養地であり」

 海抜660メートルの雲仙町は、真夏でも摂氏30度を越えることはなかった。思い出すだけで汗がにじみ出る香港やマニラの夏……。あの高温多湿は、まして乾燥地帯で育った西洋人には耐え難い。大正12年の雲仙岳への登山者数を見ると、外国人576人のうちイギリス人が271人と最も多く登録されている。大半は上海、香港、マニラの商人とその家族であった。朝霧に包まれる爽やかな雲仙はまさに理想郷。憩いのリゾート、快適な楽園、東洋のニースとして、大陸までその名はとどろいていた。


がっしりとした格調高いエントランスから一歩中に足を踏み入れると、
まるでタイムスリップしたようなエキゾチックな空間が広がる。

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セカンドステージ