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雲仙ゴルフ場歴史を旅する
開場のいきさつ

 開業は大正2年(1913年)という説もある。が、大正15年に雲仙公園初代園長の園孝次郎が記した『雲仙岳と島原半島』にこう書かれていた。

 「雲仙ゴルフ場は長崎県が雲仙公園の娯楽施設の一部として、明治四十四年六月より開設せられ、コースの選定や設計については当時長崎在留の香港上海銀行員であったウオルキンシヨ氏と、メーとバクランドの両君のお骨折で、空池原に定められたのが今日の雲仙ゴルフ場である」

 ただ、加藤支配人の手元に辛うじて残る資料にこんな但し書きも記されている。

 「初年度は未だ設備不完全なりし関係上競技者少なかりしを以って入場料を徴せざりき」

 役所という職場は20年単位で資料を処分するとかで、プライベートクラブのように緻密な記録は残っていないのだが、明治44年に開設したものの、明治天皇崩御が翌45年7月のことであったから、運営の体裁が整ったのは大正元年から2年ということなのだろう。

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左●昭和初期には外国人だけでなく、日本人にとっても雲仙は憧れの観光地。地図や見どころを紹介する観光マップがいくつも作られたという。
右●昭和8年に雲仙ゴルフ場をモチーフに発行された記念切手。日本では唯一のゴルフ切手だ。

 現在、雲仙ゴルフ場として残っている土地は、もともと50人ほどの寄り合い地主が所有し、牛馬の放牧をしたり薪を拾い集めたりの入会地だった。明治40年代になって雲仙を県立公園にしようという動きが起き、地主会は明治45年4月、県に対し99年間(すなわち平成23年まで)の地上権登記の設定を承認している。99年という期間は不可解だが、否も応もなかったのだ。というのも、昭和5年にまとめられた「雲仙ゴルフ場沿革」によると、当時の大塚勝太郎長崎県知事は開設に当たってひとりの植物学者にゴルフ場の建設調査を依頼し、「適切」の答えをもらって議会にかけたのが明治44年4月4日——地主に相談する1年前に話は決まっていたということになるからだ。

 それにしても、なぜ長崎のはずれに、日本で4番目のゴルフコースが、しかもパブリックという特異な経緯で誕生したのだろうか。


次回9月14日更新につづく
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