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明治44年、日本で4番目のコースとして、雲仙ゴルフ場は誕生した。長崎からほど近い山間の高原に、あるがままの自然を利用して造られた9ホールだ。そしてその後創業された雲仙観光ホテルとともに、いまも当時の姿のまま、ひっそりと佇んでいる。日本のリゾートの原風景を、歴史をたどりながら訪ねてみよう。
封印された楽園 1番ホールのティグラウンド正面に妙現岳が座る。そのたおやかな稜線の向こうには普賢岳が控えているはずだ。右手には野岳の斜面。アルプス山麓の牧場のよう、そうなぞらえられた懐の深い谷間のコースに、時折、ウグイスの声が流れていた。 「左にふたつバンカーがありますね」支配人の加藤忠清さんが指さした。 「右の空池(からいけ)はもちろんそのままですが、あのバンカーも開設当時のまま。やさしそうに見えますけど、油断すると食われるんです。古いコースなのに、意外に思うほど考えて造ってあります」 雲仙ゴルフ場は、明治44年(1911年)に開設された日本最初のパブリックコースである。当時の9ホールのまま、当時のレイアウトを残し、カートを走らせることもなく、メンバーシップを募ることもなく、ほぼ1世紀の間、日本のゴルフ界の浮沈を見つめてきた静謐の館だ。 昭和40年代には予約の列が夜を徹したこともあったという。平成2年(1990年)の普賢岳噴火は、被害のなかった雲仙側への客足も止めた。なるほどゴルフ産業は経済活動に敏感で、列島コース図は時代とともに大きく変化している。しかしここ雲仙は、粛々とその時代の波を越えてきたのである。
「ここはパブリックです。県営で、コースは国立公園のなかにあります。開設当時、いまのように山を崩すこともせず自然をあるがまま利用したコースが、そのまま残っているんです。残らないわけにはいかなかったというんでしょうかね……回っていると、不思議な気分になります」 18ホールにしようかと測量をしたこともあったという。それは無理と分かった。国立公園の建築規制に縛られているからではなく、そもそもそのような理屈の存在しない環境に生まれ出たコースだったのだ。 日本初のゴルフコースは、明治34年に4ホールでスタートした神戸六甲コースだった。37年には兵庫の横屋ゴルフ・アソシエーションが開かれ、39年に横浜・根岸競馬場内にニッポンレースクラブ・ゴルフィング・アソシエーションが誕生している。雲仙ゴルフ場はその5年後、日本で4番目のゴルフコースとして開場、大正3年には横尾の閉鎖に代わって鳴尾アソシエーション、さらに駒沢に東京倶楽部が産声をあげるわけだが、雲仙は現存するコースとしては2番目に古く、開場当時のままということでは、唯一の空間ということになる。 |
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