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坊主頭に混じった坊っちゃん刈り。ニッカボッカーを着せられ革靴を履いた兄弟。どこか異邦人のように過ごした少年の地を、だが、石原裕次郎はこよなく愛した。ヨットハーバーと隣り合わせに、石原裕次郎記念館がある。裕次郎が他界して18年が経ったが、いまも一日平均2000人の入場者が訪れ、記念館を取り巻くように大型ホテルやショッピングモールが建ち並ぶ。記念館フロアマネジャーの夏伐亮一さんは、銭函CCでの幼い写真を見ながら言った。
「石原裕次郎はどんなスポーツも好きでしたが、なかでも特に愛したのがゴルフでした。子どものころの小樽の思い出、父親の面影が重なっているのかも知れません。潔さんは、裕次郎が高校1年の年に亡くなられましたから」
記念館を建てるとき、神戸、逗子も候補だった。マキ子未亡人が小樽を選んだのは、裕次郎の安らぎがここにあったという、妻ならではの実感からだろう。夫人は、いまも新コースのメンバーである。
北海道経済の中心地として活気に満ちていた町は、いまでは北の観光地となり、ウォール街の建物のほとんどの所有者が変わった。しかし、男たちを歯ぎしりさせた銭函のリンクスはいまも変わることなく鬼のようにうねり、強い海風にハマナスが揺れていた。
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