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裕次郎にとって小樽は、父親の面影が重なる地。安らぎの地−。
佐藤はそれまで長崎の三菱造船所に勤め、前回紹介した日本最古のパブリックコース、雲仙ゴルフ場で腕を磨いた男だった。腕をもてあました挙句、札幌市民の海水浴場として知られていた銭函の野原で暇まかせにクラブを振ったのである。 そして昭和3年、有志10名を発起人として小樽ゴルフ倶楽部が誕生する。日本銀行、三菱銀行、三井銀行、第一銀行、三菱鉱業、北日本汽船……当時の小樽経済を代表する企業の顔で、砂漠に水を得たように会員は1カ月後に45名に膨らんでいる。そして、昭和13年の倶楽部のハンディキャップ表に石原潔25とある。裕次郎の父親は、小樽支店長に着任して3年目の昭和13年、数多くのトーナメントに参加し上位に名を残している。仕事が落ち着いたこともあっただろう。会報の文章にこんなくだりがある。 『ロングヒッターとしての氏が今シーズン忽然として現れる迄には涙ぐましい精進があったことを知る人は知る』 その冬、石原潔氏はインドアの練習場で少なくとも5000球、一日平均200以上を打ったという。石原兄弟の負けず嫌いを偲ばせるが、他の事情もあったのではないか。というのは、山下汽船は第一次大戦を契機に急成長したいわば新興企業であり、しかも石原は旧制中学を中退し14歳で入社した叩き上げだった。居並ぶ名士会員への反骨心もまた、一日200打へと駆り立てたのではなかったか。 ![]() マリーナ付近はいってみれば新しい小樽。 ホテルやショッピングモールが並ぶ。 |
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