前回は、「グリッド・コンピューティングとは何か」を定義し、その起源や適応の範囲について述べてきました。今回はそれをビジネスの観点でどのような価値を見出せるか考えていきましょう。
グリッドは前回で示した定義からもわかるように、インターネット上などのコンピュータ資源を動的に連携して仮想的なコンピュータのようにユーザーに見せる技術といえます。分散コンピュータでもその技術としてのむずかしさはありますが、さらにその上にインターネットを介して、地域も異なる、そして組織も異なる---つまりほとんどの場合、異機種で、さらに所有者も異なるコンピュータ資源を連携させるという高度な技術に挑もうとしています。なぜこのような技術が現れてきたのでしょう。
その理由として前回、単独では満たせない大規模な計算能力を必要とし、かつ膨大な分散したデータを扱わなければならないといった、科学技術分野の新しいニーズについて触れました。つまりアカデミックの新しい研究が強くグリッドの登場を望み、それによってグリッドという言葉が生まれ、かつグリッド自身の研究がアカデミックな世界で出てきたというわけです。
ビジネスの世界でもグリッドが
ではビジネスの世界ではそうしたニーズがあるのでしょうか。確かに、最近では金融業においては、金融工学を駆使して開発した金融商品の発達、製造業においては極端にデジタル化したものづくりの進展が大量のシュミレーションを生み、アカデミックな世界と同様なグリッドのニーズを生みつつあります。
実際、そのひとつの表れとして、スーパーコンピュータの出荷が最近ではアカデミックな世界より商用の分野のほうが多くなっているということが言えます。さらなる計算能力や膨大なデータを扱うグリッドの能力は、ビジネスの世界にも影響を与えることでしょう。しかし実はグリッドは、こうしたビジネス分野にも、必要な極限のコンピューティング能力を提供するだけではありません。昨今のビジネスのやり方そのものも、グリッドのニーズを生みだしています。
90年代に始まったインターネットを基本とする経済活動、インターネット経済ともいえるものは、多くの企業のあり方を変えてきました。例えばある製品について言えば、その企画から設計、開発、製造、在庫、流通、販売といった価値の流れ---バリューチェーン---は、かつては1つの企業あるいは1つのグループ企業群の中で完結していました。しかし現在では多くの企業がインターネットで結ばれ、1つの企業だけで閉じることのないバリューチェーンが構築されています。
しかもこうしたe-ビジネスの進展は、消費者にも影響を与えているのです。消費者もWebを通じて、バリューチェーンの中に組み込まれてきたのです。こうしてインターネットは、在庫や支払いやなどが、いろいろな企業をまたがって行われるのをリアルタイムに結びつける必然性を生み出しました。
つまり、企業ごとにコンピュータ上で実現しているビジネスのプロセスを、ダイナミックに結合してサービスを提供する必要性が出てきたわけです。企業といった組織をまたがり、分散したコンピュータをダイナミックに連携するe-ビジネスのニーズ。アプリケーションのレベルでは、Webサービスといった技術がそれを満たそうとしています。
しかしその土台としての分散コンピュータについては、それを安定して運用するためにグリッドの技術が必要と言われています。企業間で結ばれたアプリケーションの土台としての、組織をまたがった分散コンピュータ。まさにグリッドの定義そのものです。そしてこれは必ずしも企業間だけでなく、企業内においても組織別のシステムをつなぐ場合に同じようなことが言えます。新しい時代のインターネットを土台としたダイナミックなビジネスが、その土台となるコンピュータにグリッドそのものを要求していると言えるのです。
柔軟性を備えたシステムへ
このように新しい時代のビジネスニーズに対応した技術として---つまりある意味の必然性として---グリッドという技術が生まれてきたと言えるでしょう。では、このように組織をまたがって仮想的なコンピュータを実現するグリッドとは、どのような価値を具体的に企業にもたらしていくでしょうか。
ダイナミックな経済環境やマーケットの変化は、短い時間で急激なトランザクションの変化、大きな波をもたらすことがあります。複数の組織にまたがって運営されているサービスなどでは、これに対応するには、それぞれのアプリケーションの土台であるITインフラを見直す必要がありました。
組織をまたがって仮想的なコンピュータを実現しているグリッドでは、このような場合に、柔軟にコンピュータの資源をアプリケーションに割り当て、場合によっては別の場所からの資源を取り込んで、その大きな波を乗り越えてくれると期待されています。
また一部の組織のコンピュータが障害などで機能不全に陥っても、全体として一定のサービスを提供するために自動的に組織間で資源の割り振りをかえて品質の高いサービスを与えるというのも、グリッドの上に実現されていくでしょう。さらに特定にユーザーに対するサービスを、特別に優先順位をあげて処理するなどといったことも、分散した資源間で調整をしあって実現されようとしています。
これらは以前、単体のメインフレームのようなものではほぼ実現されてきたものですが、グリッドはそれを組織をまたがった環境でも、その仮想的なコンピュータの上に実現できるのです。このような技術が現れるまで、組織をまたがるシステムで構成されているインターネットのサービスなどは、大きなトランザクションに耐えられなかったり、一部のシステム不全でサービスが停止したりと、ビジネスそのものに影響を与えかねないものでした。
また問題が起きてもその原因追求や対応に対して、複数システムそれぞれの専門家が、たくさんの時間を費やしても問題の特定すらできないということが最近頻繁に起きています。まさにシステムの維持のためのコスト(TCO)の増大がそれによって引き起こされています。グリッドはこういった組織をまたがったサービスの実現とともに増大するTCOを下げる手段となりえるでしょう。
企業合併や買収などにより発生するシステムの統合でも、グリッドの技術が応用できるのではと言われています。「コンピュータ資源を仮想化する」という観点で有力なコスト削減策となることでしょう。システムを集中化するのでもなく、ただばらばらの分散化でいくわけでもない、第三の選択肢として「仮想化」というアプローチが見えてくるのです。
システム構築の新手法としても注目
ところでこの仮想化というグリッド技術は、ITシステム構築の視点ではどのようにとらえられるのでしょうか?
一つは「アプリケーションをITインフラから分離する」というものです。今まで何かのサービスをシステムとして構築するには、アプリケーションに対して専用のハードウェアやソフトウェアといったITインフラを準備してきました。最近では、開発面であまりITインフラが何かを意識したくても済む「Java」などのアプリケーション技術も使われるようになってきました。しかし実態としては、ITインフラ自身はその資源という性格から、アプリケーションごとに専用に構築してきたのも事実です。
グリッドは仮想化という観点、そして動的にコンピュータ資源をどこかから割り振ったりできるという観点から、アプリケーション側からみるとITインフラから分離されて自由度をもったと言えるでしょう。つまり今までアプリケーション開発というと必ずついてまわった、それを支えるITインフラの設計はグリッド技術の高度化によって変わっていくことでしょう。
しかしながら現時点では未成熟なグリッド技術です。今、現実に実用化されている部分は、組織をまたがってコンピュータ資源を動的に使えるようにする技術にはじまり、コンピュータの計算能力を集めて一つに見せかけたり、ファイルレベルで、分散したファイルを一つの体系で見せたりするといった、グリッド技術の基本的な部分のみです。しかしそのビジョンと恩恵をめざして、今まさにその土台の上にいろいろなグリッド技術が多くの研究者により研究、開発されようとしています。
(関 孝則/日本IBM グリッド・ビジネス事業部 技術理事)