予測の難しいビジネス環境の変化に迅速に、柔軟に、動的に適応する「オンデマンド・ビジネス」の世界を実現するためには、ビジネス・プロセスの変革と同時にITインフラの変革が重要となってきています。ほとんどの企業のITインフラは、今日までに異機種混合化が進み、ネットワーク上に広く分散し、ますます複雑化してきているのが現状です。
オンデマンド・ビジネスを達成するためにITインフラは、新しい技術を吸収しながらも複雑化する課題を解決する方向で進化しなければなりません。IBMは、この新しいITインフラを「オンデマンド・コンピューティング環境」と呼び、その実現には「オープン」「統合化」「仮想化」「自律化」の4つの基本的特性が重要であると考えています。その仮想化を支える鍵を握っているのがグリッド・コンピューティングです。
ここでは、グリッド・コンピューティングの概要、ビジネス分野における真価、先進応用事例と将来について3回の連載でご紹介していきます。
グリッド・コンピューティングとは?
「グリッド」の言葉から「格子」を連想される方も多いかと思いますが、ここでは「電力の送電網」のことを指しています。私たちが電器製品を利用する時に、電気がどの発電所で発電され、どの送電線から送られてきたかを意識することはありません。これと同じようにコンピュータを利用する時にも、ネットワーク上にあるどのコンピュータを、どこのネットワークを通じて利用しているかを意識せずに、いつでも、どこからでも、必要なだけ利用できることを指して「グリッド」という言葉が使われています。ここでは、グリッド・コンピューティングのことを「グリッド」とします。
グリッドをより詳細に定義すると、「インターネットやイントラネット上のオープン・スタンダードに基づいた新しい分散コンピューティング環境で、ネットワーク上に分散した多様なコンピュータ資源(コンピュータ、記憶装置、入出力装置、実験装置など)や情報資源をあたかも一つの巨大な仮想コンピュータシステムとして利用できるようにする技術」と言えます。
これにより異なる業務や異なる組織や異なる地域のネットワーク上のコンピュータ資源や情報資源にアクセスしたり、共有したり、一元的に管理することができるようになります。また、堅牢で可用性の高いITインフラを実現することで、信頼性の高いサービスを提供できるようになります。
グリッドが生まれてきた背景は?
グリッドは、インターネットやWWWなどの技術が大学や研究機関から誕生してビジネスの世界に広く普及してきたのと同様な道を辿っていくと考えられています。それでは、なぜ大学や研究機関からグリッド技術が誕生してきたのでしょうか? ここで代表的な例を紹介しましょう。
(1)高速大規模計算を必要とする研究
計算物理、地球物理、宇宙科学、バイオインフォマティックスなど広い分野で、高速大規模計算シミュレーションの需要が増大しています。分野によってはペタFLOPS(毎秒1000兆回の計算を実行)の高速大規模計算を必要とするものもあります。
現時点で世界最高速のコンピュータ・システムは日本にある「地球シミュレータ」で、40テラFLOPS(毎秒40兆回の計算を実行)が世界最速です。しかしこうしたシステムは、構築費や年間維持費が非常に高価になるため、誰もが一組織で保有する---ということはなかなかできません。
そこで、ネットワーク上に分散しているスーパーコンピュータやクラスター・システムを共有することで高速なコンピュータ・システムとして駆使しているプロジェクト(TeraGrid、UK National Grid 、DAS-2、DOE Science Grid 、NASA IPGなど)があります。また膨大な数の家庭のパソコンを統合的に活用してスーパーコンピュータ並みの計算をさせている例(SETI@homeなど)もあります。こうしたグリッドによる工夫で、コストを抑えながら高速で大規模な計算に対応できるようにしているのです。
(2)高価で特殊な実験装置を必要とする研究
高エネルギー物理の巨大な加速器や天文観測の高性能な望遠鏡などは、非常に高価なために国家規模で保有するような特殊な実験装置です。世界の研究者らがこのような装置を遠隔から利用したり、装置から得られた膨大なデータを共同で解析しています。ここでもグリッドの技術が使われています。
高エネルギー物理の例では、世界中の数千人の物理学者が巨大な加速器を共有し、年間数ペタバイトの膨大なデータを解析しているとのことです(European Data Grid/CERNなど)。
(3)分散した膨大なデータの共有や解析を必要とする研究
高エネルギー物理、地球物理、宇宙科学、バイオインフォマティックスなどの広い分野で、ペタスケールの膨大なデータを扱う需要があります。世界中の研究者が分散されたデータベースにデータを登録し、共有し、解析したりしています(TeraGrid、European Data Grid/CERN、 GriPhyNなど)。これもグリッドの応用です。
たとえば、バイオインフォマティックス分野の国際塩基配列データベース(INSD)では、塩基配列の登録件数が2000万件を超え、登録件数は毎年50%以上も増加しています。1日に50万件のデータを検索している組織もあるとのことです。
(4)並列・分散コンピューティングそのものの情報科学の研究
広域ネットワークを対象にした、並列・分散コンピューティングそのもののシステム・アーキテクチャやアルゴリズムなどの研究にもグリッドが使われています。
以上のように、世界の大学や研究機関が互いに大規模な計算処理、データ処理、協調できるグローバルな研究環境を実現するために、ネットワーク上の資源を仮想化するグリッドの考え方が必要であったと言えます。
グリッドの標準化の動きは?
ネットワーク上の多様なコンピュータ資源を透過的に動的に利用するためには、異機種混合システム間でのプロトコルやインタフェースが単にオープンで多目的に使用できるようにするだけでは不十分です。世界標準であることが重要な課題となります。
米アルゴン国立研究所のIan Foster氏と米シカゴ大学のCarl Kesselman氏が中心になってグリッドを世界に普及させることを目指して「Globus Project」を創設しました。Globus Projectでは、これまでにオープン・ソースのグリッド・レファレンス・アーキテクチャー、およびグリッドの実装を支援するための一連のツールである「Globus Toolkit」を開発してきました。
また、グリッドの標準化活動としては、1998年末に「Grid Forum」(GF)が結成され、その後、欧州の「E-Grid」やアジアの「AP-Grid」が加わり、2000年に国際標準化団体として「Global Grid Forum (GGF)」(GGF)が設立されました。現在GGFには、世界中の大学や研究機関、企業の研究者や開発者が参画して標準化活動を推進しています。
一方、日本国内では2002年6月に「グリッド協議会」が設立されています。グリッド協議会は、GGFとも協力して国際的な標準化に寄与し、グリッドに関する要素技術および利用技術の普及・啓蒙に取り組んでいます。この協議会の協力によって、2003年3月に第7回目の国際会議(GGF7)が日本で初めて開催され、世界中から約800人もの人たちが集まりました。
IBMは、このグリッドの標準化に積極的に取り組んでおり、Globus ProjectとGGFを強力に支援しています。特にIBMの顕著な貢献は、Globus Projectと協力してグリッドとWebサービスの概念と技術を統合化したグリッドのアーキテクチャ「Open Grid Services Architecture」(OGSA)を2002年2月に提唱し、標準化の推進およびグリッド技術の開発をしていることです。現在、OGSAの基本要素部分である「Open Grid Services Infrastructure」(OGSI)の仕様は、ほぼ確定してきています。
グリッドをどのような目的に適用するか?
科学技術計算の分野で発展してきたグリッドは、最近ではビジネス分野で急速に適用されつつあります。ここでは、どのような目的にグリッドを適用すると効果的であるかについて見てみましょう。
(1)コンピュータ資源の有効活用
資源の有効活用には、大学や研究機関などの科学技術計算でみられるようなインターネット上の世界中に分散しているコンピュータ資源を最大限に活用して一組織ではできなかったような膨大な計算をするような方向もあれば、企業内の限られたコンピュータ資源をいかに最大限に活用して使用効率を高め、生産性の向上とコストの削減を図る方向もあります。よく見られる例として
(a) 昼間や夜間に利用されていないコンピュータ資源(サーバー、ワークステーション、パソコン)を業務や組織を超えて有効活用する
(b) コンピュータ資源を利用するピークが季節、月、週、日単位などで周期が互いに異なる業務間においてコンピュータ資源を共有する
などが挙げられます。
(2)情報資源の統合、共有, 透過的なアクセス
企業内の業務や企業間の垣根を越えて、インターネット上の様々なシステムに散在しているリレーショナルや構造化、非構造化されたデータを論理的に統合化し、仮想化することで透過的にアクセスし共有できるようにします。
これにより企業内あるいは企業間の業務プロセスの変革、コラボレーションの強化、意思決定の迅速化を図れます。この実現に、IBMの製品の「DB2 Information Integrator」は重要な役割を果たします。
(3)資源の運用・管理の一元化
業務ごとや組織ごとに異機種混合のシステムを個別に運用・管理するのではなく、標準化に基づいたコンピュータ資源の仮想化により一元化することで、運用・管理のオーバーヘッドを軽減することができます。
(4)信頼性・堅牢性のあるシステム・インフラの実現
災害時やシステムの障害時のために、仮想化されたコンピュータ資源を代替手段として活用することができるので、ITインフラの信頼性および可用性を大きく高めることができます。
(5)e-ユーティリティの実現
ネットワーク上のコンピュータ資源をサービスの品質の保証(Service Level Agreement:SLA)のもとに必要に応じて、必要な時に利用できるようにするユーティリティ的なコンピューティング環境を実現する方向があります。これにより、近い将来は複雑化するITインフラから開放されて本業の業務に専念することができるようになります。
以上のようにグリッド技術の研究開発や標準化は着実に進んでおり、オンデマンド・ビジネスのためのITインフラとして現実的なものになりつつあります。次回は、ビジネス分野に焦点を当てて、どのようなソリューションに対してグリッドの真価が発揮されるかについてご紹介する予定です。
(杉本 和敏/日本IBM ソフトウェア開発研究所
オートノミック・コンピューティング・プログラム担当 技術参与)