地方銀行大手のあしぎんファイナンシャルグループの公的資金投入などで、地方銀行の不良債権比率に注目が集まっている。確かに大手行に隠れて地銀の不良債権問題に関心が集まりにくかった点もあり、足利銀行の破綻処理で地銀の不良債権処理に本腰が入るならば歓迎すべきことだ。
ただし、地銀の処理が進めば不良債権問題が解決するわけではない。民間銀行に隠れて政府系金融機関も不良債権を相当抱えているとみられるからだ。政府系金融機関の企業への融資額は信用保証協会の保証分も含めて100兆円に迫る。国と地方の財政赤字の合計が、GDP(国内総生産)を200兆円上回る700兆円にものぼる我が国にとって、政府系金融機関の不良債権はけっして見逃せない問題だ。
政府系金融機関には、小泉純一郎政権の発足当時に構造改革の掛け声と共にメスが入りかけた。しかし、民間金融による貸し渋り、貸し剥がしの波及によって、政府系金融機関は必要不可欠という認識が広がり、結果として生き延びている。
三通りある公的金融の仕組み
政府が、融資や保証などの制度で金融を行うやり方には3通りある。1つには国際協力銀行や政策投資銀行などを通じて海外への資金協力や国内プロジェクト金融などを行うもの。2つ目は中小企業金融公庫、国民生活金融公庫、商工中金などの機関を通じて中小企業に融資を行うもの。最後に中小企業事業団を通じた、各地の信用保証協会による保証行為によって中小企業金融を支援するものがある。どの方法も潜在的な財政リスクを抱え始めている。
公的金融の制度は、民間金融と競合するという視点から、非難されることが多い。たしかに低利・低率の融資や保証で民間金融の経営が圧迫される、というのは理屈としては正しい。ただし実際にそれが深刻な金融問題となっているかといえばやや疑問だ。民間が貸したい優良な融資先はお金が不要で、民間が貸したくないような融資先が公的金融を利用しているケースが多い。民間金融機関にとって公的な金融制度は、優良な貸出先を奪われるというデメリットよりも、リスク債権を抱えなくて済むメリットをもたらしている。
全事業金融の2割を公的機関が賄う
数字を見てみよう。公的金融機関と民間の事業金融の規模は約500兆円、このうち公的金融機関を除く全国の銀行の事業貸出規模は、昨今減少を続けて約400兆円となっている。冒頭に触れたように公的金融機関の融資は約100兆円で、その内訳は国内貸出・保証の規模が約46兆円(住宅金融を除く)、信用保証制度の保証残高が約47兆円になる。
全事業金融の20%程度が公的機関によって賄われていることになるのだが、民間金融の残高は現在でも減少中である。一方、公的金融の残高に大きな変化は見られない。この傾向が続けば、公的金融の融資比率は高まることになる。
欧米市場を参考にすれば、融資と社債の合計残高はGDPの70〜80%が適正水準との見方が一般的だ。これを日本にも適用すると、およそ500兆円のGDPに対して事業金融の規模は350兆〜400兆円程度が適正な水準と見られる。日本の社債残高は50兆円程度なので、社債を差し引いた300兆〜350兆円くらいが妥当な融資額になる。
欧米市場の常識で考えれば、現在の国内金融の残高合計500兆円は、適正規模より100兆円以上が過大となる。この額は、以下で説明するように潜在的な不良債権の予備軍とも考えられる。民間金融の不良債権処理が進んだことを考えると、公的機関が保有する債権が不良化している可能性は否定できない。
現実に信用保証協会の保証では代位弁済率(焦げ付き)が急上昇し、保証料では賄えない状態に陥りつつある。メガバンクや地銀の破綻処理に比べれば地味な分野だが、ここでも税金での処理が始まりつつある。
リスク案件に乗り出す公的金融機関
政府系金融機関が融資ではなく、出資形態での活動を加速させている点も懸念される。例えば、日本政策投資銀行はダイエー救済のために設立された企業再生ファンドに100億円を金銭出資したほか、再生事業への取り組みとして、他の数多くのファンドに出資している。
出資額は総計で2500億円程度と融資規模に比べると少額だが、いずれも不況下での再生という困難なプロジェクトだけに、この投資はかなりのリスクが伴う。そのリスクを回避するだけの技量が政策投資銀にあるとは思えない。
確かに公的金融機関は証券化を導入して、リスク分散に取り組み始めている。住宅金融公庫、商工中金に続いて、中小企業金融公庫もローン担保証券(CLO)を利用しようとしている。ただし、これらのCLOは資産効率の改善やリスク資産の分散にはほど遠い。
中小企業への融資を束ねた証券化といっても、機関投資家に売り出す証券はリスクを極小化したものであり、発行者の手元に残る証券には、凝縮されたリスクが付着したままで、かえってリスクが高まる形になっている。彼らの証券化は本来の趣旨とは違い、単に公的金融機関でも先進的な金融技術を導入できるのだとアピールするための政治的道具に過ぎない。
民間金融機関も、公的金融機関が証券化などに取り組めば、自らの商売のネタになるとの思いから表立って批判しないようだ。民間金融と公的金融がお互いに市場機能を歪めあい、将来的な財政負担の可能性から眼をそむけている。
経済環境が悪化している時に、金融システムが不安定では困る。不景気な時代に、経済を底支えする機能を公的金融に求めるのは、世界的にも共通でそのすべてを否定できない。民間金融が取れないリスクを公的金融が取って代わるのは、妥当な点もある。だが、やみくもに公的資金を使うことが逆に国民にとって不経済かつ非効率な環境を作り上げてしまうリスクも付随する。
税収を国民経済的な論理で使うことにまったく異論はないが、リスク管理機能なしに、公的機関の損失を公的資金で穴埋めするとなれば、文字通りの税金の無駄遣いである。足利銀行やりそな銀行の例のように、民間金融に対し返還される明確な根拠のないままに公的資金の注入が続いている。これが、公的金融にも同じように繰り返されるのであれば、日本の財政は間違いなく破滅へ向かう。
(倉都 康行=RPテック)
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